大山俊輔
さて、さんざんニュースに振り回されるな、という発言をしていながら久しぶりに週刊文春を買ってしまいましたよ。
ほとんどのニュース(新聞含む)が良い習慣を蝕んでしまう3つの理由というのも、この記事は、平成・令和の日本という国の没落の象徴でもあると思ったからです。
首相補佐官と美人官僚の不倫出張。
そしてその不倫出張での目的は、iPS細胞の山中教授のプロジェクトの予算打ち切りを通達するため。
もちろん、本人たちの言い分もあるでしょう。
一方的に文春砲で判断するのは早いという意見もあるでしょうが、あの写真から結婚している70前の男と50代シングルマザーのデートがあったことは事実。
いえ、百歩譲ってモラル的な問題は脇に置いておいたとしましょう。ですが、2人のデートの直前に山中教授とのミーティングでプロジェクト予算の打ち切りを通告していたわけです。
これこそがこの平成と令和の日本の凋落を風刺している出来事だと思いました。
もし、私がこの話を山中教授に通告しなければいけない立場なら、1週間位食事が喉を通らず、眠ることもできないと思います。気が小さいというか、本当にそんなことをしていいのか自問自答し続けてしまうでしょうから。デートなんかできません。
私もいろいろオイタもありますし、人様に誇れるほど自分の行いがすべて正しいとも思いません。
ですが、最近の日本の凋落を見るにつけ、改めて江戸から明治初期までに育ってきた日本人にあって、その後の日本人欠けているものは何なんだろう?
そんなことを、このニュースから考えてみました。
目次
昔のエリートは決して学歴エリートじゃなかった
まず、第一に昔のエリートの定義から。
今私達がエリートといえば良い大学を卒業している人、良い会社や官庁に務めている人、と思い込んでいます。
ですが、実際日本の国力が欧米に追いつき追い越せをしていた明治期のエリートにそのような昭和・平成型のエリートは殆どいません。
例えば、初代内務卿の大久保利通、あるいは、初代総理大臣の伊藤博文。
どちらも育った時代にはそもそも大学というものがありません。
大久保利通は薩摩藩の下級武士で、先輩武士たちから郷中教育を受けていますがこれは正規の学問ではなくどちらかというと、その本質は武道を通じた精神面の鍛錬です。
伊藤博文も大学は出ておらず通った学校はかの吉田松陰の松下村塾。
私塾です。
ですが、当時、衰退しつつあったとはいえ日本より遥かに超大国であった清の宰相であり、「東洋のビスマルク」とも言われた李鴻章はこの2人対峙し、この2人が世界的傑物であることを即座に見抜きます。
その1:大久保利通
日本の台湾出兵に伴い、日清両国で外交問題が発生。
あわや日清戦争勃発か、という状況になりました。英仏に侵略されていたとはいえ、清はまだまだ世界有数の大国。
開国間もない日本が戦える相手ではありません。
そこで、大久保利通は外交での解決を目指して単身、北京に乗り込みます。実質総理大臣が単独で外交直談判に行ったわけです。
相手は天下の李鴻章。
その李鴻章が大久保利通が北京について外交談判の直前に行ったこと。それは、威嚇のため、大久保利通の宿泊している宿舎近くで大砲を打たせたそうです。
普通でしたが、びっくりして腰を抜かしてしまいますよね。
ですが、大久保利通は何の驚きも示さないで悠然と現れたそうです。李鴻章は、
「こいつは只者ではない」
ということで外交に望みました。
結果としては、大久保はあべこべに清から謝罪と賠償を勝ち取っています。
今の日本の外交からは考えられませんね。
その2:伊藤博文
その後、李鴻章は当時大久保の鞄持ちだった伊藤博文と会います。
李は、
「こいつも、世界で稀な大人物になる」
と見抜いたそうです。
また、このような人が日本の総理大臣になれば、日本は十年も経たないうちに世界の強国となって清を破るだろう。そこまで予言します。
これが皮肉なことに、日清戦争という形で実現し、李鴻章は下関条約で調印します。
ふたりとも、別に東大法学部卒でもなく(というより、大久保の時代には東大がありませんからね)、ハーバードに留学したわけでもありません。
でも、人として大事な何かを身の回りから学んできたのでしょう。
その大事なものとは何なのでしょう?
それは、一言に集約すれば
「人として生まれてどのように生きて死んでいくか」
ということを真面目に探求することを学んできたと言えるのではないでしょうか。
つまり、生き方、死に方を真面目に考え続けたのでしょう。
これは、以前紹介したスペインの哲学者オルテガに代表される「生の哲学」とも相通じるものがあります。
実は起業家必見!?ホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』は生き方の指南書 – 要約・まとめ知識はその後だったわけです。
昭和期~日本の転換点:エリートの定義=記憶力と要領の良さになってしまった
明治となり開国間もない日本には大久保や伊藤レベルではなくとも、それなりの人物が多く登場しました。
そのお蔭で、我が国は欧米の植民地に転落してもおかしくないピンチを乗り越え、日清・日露の大戦を勝利で終えて、気づけば第一次大戦後には国際連盟における五大国の一員にまでなりました。
普通に考えて260年間にわたり世界で起きていた変化から取り残されていた国がわずか50年足らずでここまで上り詰める。
私は44歳ですが、自分の一生と重ね合わすといかに奇跡的短期間で成されたかが分かります。
ところが明治も終わりを告げる頃から少しずつ変化が現れます。
そう、お受験エリートの登場です。
今も変わらないですが、この時代のお受験エリートといえばまさに「出羽守」。
「欧米では・・・・」
「ドイツでは・・・」
「英米では・・・」
と、「でわ・・」「でわ・・・」「でわ・・・・」の人々が徐々に権力中枢に入り込んできます。彼らの強みは、暗記力の強さと欧米コンプレックス。
今だと、エリートといえば官庁で言えば財務省や経産省、外務省のイメージが強いですが当時ですと皆エリートは軍人を目指します。
実際、軍の高級将校の多くがペーパーテストの学歴秀才です。
陸大や海大のエリートは中学高校生の時から教師に気に入られる解答をつくる悪い習性がつきます。
そう。日本のエリートにありがちな目的の転移です。
軍官僚ならば、本来の目的は戦争を避けること、そして、戦争となった場合必ず勝利し国民を守ることです。
ですが、このレールにハマったエリートが優先するのは組織の上下関係と秩序。そして、自分の生活の安定と立身出世です。
国家よりも、自分の属する組織を優先します。マックス・ウェーバーは「最良の官僚は最悪の政治家である」と述べました。
日本的エリートの多い霞が関や大企業はこのパターンにハマります。
幕府側の官僚はやっぱりヘタレが多かった
でも、一つの希望があります。
それは、いつの時代も日本人全体がヘボくなったわけではありません。
あくまでも、いわゆる「エリート」が本当のエリートじゃなくなっただけで、まだまだ、在野には優秀な人がいるのがこの国の希望だと思っています。
明治を褒めて昭和をディスってしまいましたが、幕末の江戸幕府も同じでした。
欧米列強がやってきた時に交渉に臨んだ幕府高官の多くは、いわゆる幕府官僚。日本人の下々には厳しいですが、欧米列強には腰が低い。
これで、イギリスもフランスも安心します。
「あ、日本も他のアジア諸国と同じく恫喝すれば譲歩する」
「あわよくば、植民地化できるぞ」
って。
ところが、イギリスは思わぬしっぺがえしを喰らいました。
そう。薩英戦争です。
ここで、薩摩藩はまさかの善戦。
かの大英帝国の艦隊に一矢報います。
そして、その後の外交交渉。
ここで、イギリスの外交官(その中には、アーネスト・サトウもいました)が会ったのは、今までの幕府官僚とは全く違う人々。
「俺たち、何回でも戦うぜ!」
そう凄みつつも、
「和解するなら、お前らの武器を売ってくれ」
と何故かちゃっかりと商売まで持ちかける。
今までイギリス人が会ってきた日本人とは違う日本人がここにはいました。
明治を作った日本人はこういう人たちが権力の中枢に登ったことで実現したのです。(中には幕府の官僚で優秀な人もいて、明治政府に取り立てられた人もいます。)
まとめ〜日本は漸次的変化の難しい国
こうしてみてみると、日本という国は極端な変化によってしか変われない国なのではないでしょうか。
大きな変化による座席チェンジ
↓
国の発展
↓
お受験エリートの登場と既得権益化
↓
没落
↓
また大きな変化
明治以降、日本はこのパターンを繰り返しています。
アメリカやイギリスはこうした極端な変化よりは、民主的に漸次的な変化を通じて極力状況が悪くなりすぎる前に、ゲームチェンジが起きます。
一方、日本は明治の元勲たちのような人が一気に時代を変えますが、その後、世代交代が進むとお受験エリートが登場。組織が牛耳られて、本来の目的を忘れた身内を優先した国家、組織運営をするようになります。
そして、当然ながらこうした組織は時代の変化に適応しないため徐々に力を失います。平成から令和の日本国家、そして、日本の大企業もまさにこのパターンです。
平成を振り返って・・・・ロスジェネ経営者の逆襲本来なら自律的にここで変化がほしいのですが、残念ながら鉄壁の既得権益ができてしまうと変わりようがありません。こうして、革命前夜まで落ちぶれるのですが、その間も会社や国を良くしたい人たちは、在野にいる(企業の場合は子会社など)わけです。
残念ながらこうした熱い人が活躍できるのは、変わり目の時だけ、というのが日本の惜しいところです。
だからこそ、暇して自分の権威に自惚れると今回みたいなことが起きちゃうんでしょう。なんか、令和早々、日本も変わる予兆を感じる今日このごろです。
ハビットマンShun(大山俊輔)