大山俊輔
さて、当社も4月6日から休校して1ヶ月半が経過しました。
スタッフの多くは休業、一部リモートでレッスンなどしていますが、私は会社のサバイバルのため結構動き回ってました。
銀行行ったり、家賃減額陳情したり、助成金申請したり、はたまた、その提出資料に必要な登記簿謄本や納税証明書を取りに行ったり・・・。
そんな時ふとこの言葉が頭をよぎりました。
「日本は関所だらけだ・・・」
って。
この「関所」という言葉。戦国時代や江戸時代の関所を思い浮かべてしまいがちですが今の日本中至るところにあるんです。そう、経済の関所が。そして、実はこの関所を維持するために実に多くの人々が関わっていたかについても痛感しましたよ。
目次
関所の例 – 法務局
こんな非常時くらい審査資料はもっと省略してもらいたいものですよね。
でも、がっつりこんなときでも平時で必要な書類対応を求められることが多々あります(一部、簡素化してくれたものもありますけどね)。
例えば東京都への提出書類。
その中で、私個人の印鑑証明書、会社の登記簿謄本と印鑑証明書、そして、都税の納税証明書がありました。
うちの会社は渋谷区にあります。
ですので、渋谷区役所方面に行けば法務局も税務署も隣だしと思ってしまいがちです。
実際、10年くらい前に都税の納税証明書が必要だった時は渋谷区役所内に窓口があったんです。
ということで、私も事前に調べないで悪いんですが区役所へ行くと・・・。
なんと、都税事務所は恵比寿ガーデンプレイスにあるとか。
そして、法務局で登記簿謄本と法人印鑑証明書を。
最後に恵比寿まで行って、都税の納税証明書を。
すべて取りに行く羽目になりました。
いうまでもどこもこんな時期ですがどこも三密です(笑)。
そして、謎の税金である印紙を売る人。
また、納税証明書と私の申請書をチェックしてはんこだけ押す人。
証明書発行窓口で何故か機械ではなく元気な声で発行請求記番号を読み上げる人。
実に様々な人々がいることがわかります。
関所とは?
すいません。別に役所をディスってるわけではありませんし、私は新自由主義者でもありません。ときに規制が必要なことも重々理解しているつもりです。そもそも、私、どちらかというと、こういう窓口の人はこんな時なのに大変だなぁとむしろ同情してしまいます。しかも、窓口の人のほとんどは派遣の方ですし。。。
関所は官だけではなく民である私たちのセクターにも多々あるわけです。
経済学者であり社会学者でもある安冨歩さんは日本的「関所」をこのように定義しています。
私はそれを「関所」と呼んでいます。 銀行、商社、小売業、マスコミもすべて然りですが、日本企業のビジネスモデルを研究すると、コミュニケーションの集積するボトルネックを握るか、あるいは意図的にボトルネックを作り出し、そこを管理することで、「通行料」を〝ピンはね〟するビジネスモデルだということに気づきます。つまり、「関所」です。
これらはガッチリと相互依存しつつ、政府に寄りかかり、巨大な関所群を創りだして「通行料」を 掠めとっているのです。これが「国家資本主義」です。現在の日本は、旧ソ連に並ぶ、国家資本主義の最悪の一例と言ってよいでしょう。(安冨歩 -『「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂』より)
つまり、関所とは情報集積の場にあえてボトルネック(ここではあえて印紙や印鑑を必要とすること)を作り出しそこで通行料を取る経済行為。
そう定義できるのではないでしょうか。
これは民間企業でも似たような慣行は社内・社外至るところにありますよね。
社内の稟議書なんてその最たるものです。あるいは、なんの仕事をしてるかわからないけど妙に偉そうな、経営企画室なんかにもそんな人は多いです(私も以前いましたが(汗))。では、なぜ「関所」が必要なのでしょう?実は、この日本社会の関所依存の遠因は、日本人が自己を喪失して「立場」化していったことが理由だとしています。
なるほど、「立場」とはすなわちポジション。
結局、立場を重視する人は、物事に本質的に向き合うよりもその立場を強化してくれるものを重視することになります。
わかりやすいのは学歴だったりキャリア。
「◯◯大学卒」
「◯◯で働いている」
「有識者会議にノミネートされた」
という◯◯に当てはまるものです。
ところが、立場が主となるとその人はどんどん形骸化します。そして、立場の奴隷になります。
心のなかでは消費増税に反対してるかもしれないけど、ポジショントークで増税賛成する学者なんかもその一つです。
立場の奴隷になるとどういう人間になってしまうのでしょう?本来なら真面目に生きて、試行錯誤しながら経験や学びを通じて行われるはずの人間形成を軽視、いえ、むしろ憎んでしてしまいます。自分は受験勉強頑張ったんだからアイツらは言うこと聞くべきだって。でも、そんなのは全く意味を持ちません。
もちろん、本人だってそんなことはうっすら気づいています。
ですので、社会人としてはその組織から出てしまうと即死です(笑)
となるとその人達が生きていける場所。
それが関所ということです。
だからこそ、大資本になればなるほど自分たちで何かを生み出すより関所を作ってそこでうまくピンはねするモデルを作り上げます。物流なども、上流から下流まですべて自社資本下に置いて、その要所要所に立場エリートを送り込みます。これなんかは、民間の関所モデルと言えるのではないでしょうか。
あるいは、役所が天下り先をばんばん作っていくのもこの立場主義が理由と言えます。だって自信があれば、天下りなんてしないでマイナビ一度でもエントリしてみやがれですよ。しないでしょうけどね(笑)。ですが、こうしたポジション至上主義で関所でずっと生きていると、だんだん感覚がおかしくなってきます。その帰結として、
「このコロナを乗り越えられない中小企業は廃業させて大資本に統合させていくべきだ」
なんて、曲がった考え方になります。まずは、自分が一度でいいから転職してみろって(笑)。
どこでも通じないですから。
(経済学的にもデフレ促進で間違ってますよ)。
いつか関所は崩れる
しかし、関所はあくまでもボトルネックです。
本来そこで経済的価値は生み出されていないのをあえて、関所にして不便にすることでピンはねの場を作っているわけですから。
今回のコロナショックなどはその関所が崩れていくひとつのきっかけになりそうですよね。
前述の安冨歩さんはこの関所モデルが蔓延する理由を“comittment”の欠如と言いました。つまり、多くの人が立場の奴隷になることで、責任を持たない傍観者になります。
1世代、2世代くらいはこの関所も持つかもしれませんが、時代の変化はやがてこうした関所を破壊していきます。その1つのきっかけが先の大東亜戦争の惨めなまでの大敗北だったと帰結しています。
確かにあの時も陸軍海軍が喧嘩して軍人から官僚まで立場の奴隷。ネジ工場の入り口まで別々にするほどの仲の悪さでした(笑)。ポジショントークで予算獲得して、そして、ポジショントークやってるうちに日中戦争が始まって、気づけば戦線拡大。そして、最後までお役所仕事でアメリカとガチンコやってしまいました。
そして、こうした大崩壊がやってきたあと出てくる人。
それはどんな時も黙々と自分のやることをやってきた“comittment”を持つ人達です。
この人達が指導者になると日本は強くなります。
安富さんは高度経済成長期を支えたそうした”comittment”ある人の例として本田宗一郎を挙げていました。そして、こうした人が度重なり言った言葉はこの言葉だったそうです。
亡くなった戦友たちにあの世で顔向けできない
確かに、「立場上、仕方なかったんだ」という言い訳を、死んでいった戦友にすることはできませんね。
決して健全ではないかもしれませんが、私もこの気持はわからなくもないです。
今回のコロナ騒動が日本の関所経済モデルを変えていくきっかけになることを祈るばかりです。
大山俊輔