大山俊輔
関西出身で関西大好きな私が東京に出てきて20年。
ただ、いくつか東京に出てきてよかったと思うことももちろんあります。
(妻と出会ったとかですよ)。
その1つが日本の近代史をめぐる史跡が数多く残っていること。
特に明治以降の日本史は、東京を中心に展開しました。
古墳巡りから平安、鎌倉、安土桃山、江戸と私の地元関西は散歩コースに数え切れないほどの史跡があります。
特に古墳時代や奈良・平安時代が好きな方は関西のほうが訪れる場所も多いことでしょう。
ただ、やはり近代となると東京に軍配が上がります。
毎週青山霊園の近所をジョギングしているのですが、今回は散歩しながら見つけた著名人のお墓をご紹介してみようかと思います。
目次
青山霊園の著名人1 – 大久保利通
墓石の位置:1イ種15~19側1番
はい、私は週に1度はこの大久保利通の墓を参拝しています。
おそらく、遺族以外では(ひょっとすると遺族以上に)ここに来ている気がします(笑)。
というくらいに大久保利通の人生は私の価値観に大きな影響を与えたからです。
以前、大久保利通を扱ったエントリも書いてみたくらいに大久保好きです。
大久保利通半端ないって思う理由
コロナウィルスと江戸末期の参勤交代と大久保利通
彼のような人生を私は歩めるほど、覚悟もなく真面目でもないですが、なぜかこの大久保利通の墓に来ると気持ちが引き締まります。
青山霊園の著名人2 – 濱口雄幸と井上準之助
墓石の位置:1ロ種8-1~14
大久保の墓のすぐ裏にあります。
濱口といえばライオン宰相。
そして、井上準之助といえば辣腕大臣で濱口を支えて金解禁と緊縮財政によるデフレ政策を二人三脚で決行した盟友。
濱口は銃撃で。
井上は血盟団事件で命を落とします。
すいません。私は経済史の観点からはお二人を評価していません(笑)。
ただ、城山三郎の『男子の本懐』が好きな人多いんですよね・・。
三塁に一直線のごとく逆走しましたが、命をかけたことだけは確かです。
お墓も隣り合わせにあります。
日本をとりまく清算主義と歪んだ道徳感情
青山霊園の著名人3 – 犬養毅
墓石の位置:1ロ種8-1~14
そして、濱口内閣の後首相になった犬養毅。
5.15事件で暗殺されます。
犬養といえば、実はアジア主義者としても有名で、頭山満とも信仰があつかったそうです。
昭和恐慌に突入した後、犬養は首相に就任し高橋是清を大蔵大臣に起用。高橋は金輸出再禁止と兌換停止、さらに積極財政へと政策レジームを転換し、日本経済は世界恐慌から最速で脱出しました。
青山霊園の著名人4 – 山口多聞
墓石の位置:1種ロ8-1
唯一見つけた有名軍人さんです。
ミッドウェー海戦といえば、太平洋戦争の転換点となる戦いです。
戦力で見ればどう考えても日本が勝てる戦いですが結果は惨敗。
その中で唯一、山口の旗艦飛龍だけが気勢を上げて、アメリカのヨークタウンを撃沈(厳密には大破)。
しかし、大勢を変えるには至らず、最後は飛竜とともに殉じます。
青山霊園の著名人4- 金玉均
開明派の朝鮮独立運動、金玉均(きんぎょくきん・キム・オッキュン)の墓もこの青山霊園にあります。大久保利通の墓の向かいの外国人墓地コーナーにある少し風変わりな形の墓石と碑文ですぐにわかるでしょう。
福沢諭吉、頭山満らと交流があり日本と連携し、清朝からの独立と朝鮮の近代化を目指していました。当時は、李氏朝鮮末期で彼のような開明派は売国奴とみなされ、最後は上海で暗殺。その死体は凌遅刑に処せられました(凌遅刑を知りたい方はググってください。とても残酷な処刑法です。
この墓は、犬養毅・頭山満などが尽力して建てられました。碑文は、日本に住んだこともある李埈鎔による堂々とした楷書で、
嗚呼、抱非常之才、遇非常之時、無非常之功、有非常之死(以下略)
(ああ 大変な時期に たぐいまれなる才を抱き 大きな功績を残せず 無情の死)
と書かれています。
ジョギングの合間の楽しみに
いかがでしょう?
青山霊園近辺はジョギングしている方も数多くいますが、こんな楽しみがあることを知っている方は少ないようです。
(歴史に興味ないと限りなく「単なるお墓」ですけどね(笑))。
ぜひ、近くを通りかかる時には歴史に想いを馳せながらお墓巡りをしてみてもよいのではないでしょうか?
桜のシーズンはこんなにキレイですよ!
大山俊輔