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春秋戦国時代を徹底解説! | 地図、武将など登場人物、キングダムとの関わりについてわかりやすくまとめました!

春秋戦国時代を徹底解説! | 地図、武将など登場人物、キングダムとの関わりについてわかりやすくまとめました!

長い歴史を有する中国。その長い歴史のなかで、最初の戦乱の時代となったのが春秋戦国時代です。
春秋戦国時代は紀元前770年に周王朝の衰退が始まり、およそ550年間の分裂の時代を経て秦の始皇帝により統一されるまでの期間を指します。

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外資メーカー勤務。幼少期に歴史にはまりおとなになってから更に磨きがかかるいわゆるレキジョ。三国志はもちろん、中国史全般だいすきです。

サイト管理人:大山俊輔

本業は英会話スクール運営会社の経営。春秋戦国時代に登場する様々な事例は、会社経営にも役立つので何度も史記を読んでいます。

その間、戦乱の時代を経験することで政治だけではなく、経済・文化・思想の分野も大いに発展しました。そのため、中国だけでなく日本にも数々の影響を与え、その影響は現在でも色濃く残っています。

また近年、この時代を描いた漫画「キングダム」が人気です。

この記事では、春秋戦国時代について中国史があまり得意でない方でもわかりやすく、地図、武将など登場人物の物語を交えながら解説します。春秋戦国時代は儒学、孫子の兵法はじめ日本にも多大な影響を与えた時代で、この時代を理解することは日本史を理解することにも繋がります。また、人気アニメ、キングダムと春秋戦国時代との関わりも解説しますよ。

春秋戦国時代とは?

まず、春秋戦国時代の始まりは紀元前770年くらいです。

今から2800年ほど前ですね。日本では弥生時代に当たります。
ただ、春秋戦国時代といっても、厳密には春秋時代と戦国時代に分けて考えるのが一般的です。

春秋時代と戦国時代は分かれる

春秋と戦国との境目は諸説ありますが、一般的には紀元前403年とされています。
春秋の由来は、孔子の記した『春秋』という記録から、戦国は前漢の時代に劉向が編纂した『戦国策』という記録に由来します。

周の没落と春秋時代の開始

春秋時代出典:https://sekainorekisi.com/

元々、中国大陸は商王朝を滅ぼした後に、周という国が統治していました。
周は中央の政治を統治し、自ら管轄する土地以外は王族や功臣に土地を与え、各々に運営させる「封建制」を採用していました。

しかし、長い年月を経て周は次第に衰退。諸国の諸侯たちの手を借りねばならぬほど、政治的な力を失います。

やがて諸侯は、王朝を補佐する「覇者」と呼ばれる立場を争い、各地で戦争を起こすようになりました。この戦乱がおよそ200年にわたって続いた後、諸侯の間で休戦協定が結ばれたのです。

ところが、その後起こったのが国内での権力争いや下克上。
諸侯国の大臣や将軍が主君を追い出す、もしくは殺害する事態が各国で続発します。
その後、しばらくして春秋時代は終わり戦国時代へと入っていきました。

戦国時代とは?

戦国七雄出典:https://sekainorekisi.com/

戦国時代には春秋時代と異なり、各諸侯が独力で天下を掌握しようとします。
春秋時代では、国の祭祀を絶つと国の祖先から呪われるという考えがありました。

そのため、国を占領しても完全に滅ぼしてしまうことはそれほど多くなく、また滅びても復興することも珍しくありませんでした

ところが、春秋時代のように「覇者」が中心となって周王朝を支えた時代から、弱肉強食の戦いが続く戦国時代へと移ります

そして、戦乱で勝ち残った「戦国七雄(秦、燕、斉、楚、趙、魏、韓)」によって、天下が争われるようになります。

主君の呼称にも大きな変化が起こりました。
それまで、王は周王のみ。そのほかは公、侯などと名乗っていました。しかし、楚、呉、越、そして魏や秦、斉なども独自に王を名乗るようになっていきます。

そして、戦国七雄はそれぞれ王や大臣が改革をおこない、国力を充実させていくのです。

例えば、それまで使用されてきた鉄製農具と牛耕がさらに普及し、農業生産力を向上。
さらに農業生産力の向上は、貨幣経済の発達をもたらし、戦国時代の諸国ではそれぞれに青銅貨幣を鋳造し、流通させました。貨幣経済の先駆けですね。

社会の変化

また、血縁関係を中心に一族としてまとまり行動することが薄れ、個々の家族の自立という社会的な変動が起こります。

こうして自立した農民を軍事力として組織し、領内の経済を押さえて効率よく富国強兵に成功したのが戦国の諸侯でした。

富国強兵に成功した戦国の七雄は、周囲の小国を併呑して勢力を拡大していきます。

淘汰されて強国となったのが西方の秦・南国の楚・東国の斉です。
さらに楚、斉が衰退していくと、秦の一強時代となりました。

漫画『キングダム』はまさにこの時代です。

その後の時代

秦の始皇帝による中国大陸の統一後、すぐに、混乱の時代に入ります。陳勝・呉広の乱、そして、その後の楚漢戦争(項羽と劉邦)の時代を経て漢王朝が再び中国大陸を統一しますが、その後、再び大動乱の時代に突入します。これが三国志の時代です。

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どんな国があった?

春秋時代

まず前半の春秋時代は、斉・宋・晋など中央に近い諸侯、それと南方の強国楚が非常に強い力をもっていました。

中央に近い国ほど漢族の文化が濃く、逆に楚の立地した長江流域は、漢族と南方系民族が入り交じる境界地帯となっていて、文化も中央の諸国とは異質でした。

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楚、呉、越など国は長江流域にあり黄河文明の系譜を引く中原の漢民族とは、習慣なども異なりました。

また諸侯が公や候と称して王とは名乗らなかったのに対し、楚では早くから王号を用いていたなど諸侯と比べると異質な国です。しかし、長江の下流に呉や越が勃興すると、楚もかつての勢力を失っていきました。

戦国時代のはじまり

戦国七雄
出典:https://sekainorekisi.com/

紀元前403年。
斉、宋、晋のうち、晋が家臣によって国を奪われ、韓・魏・趙の3国に分割されます。これ以後を戦国時代と呼び、下克上の開始によって戦乱はいっそう激化していきました。

もはや周王の権威は完全に地に堕ちてしまい、諸侯は公然と王を称して実力抗争に明け暮れます。抗争の結果、「斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙」の7国が主要な国となります。これが先ほども説明した「戦国の七雄」ですね。

七雄のうちもっとも西方にあった秦は、紀元前4世紀ころ富国強兵に成功。急速に強大化していきます。

これに対し、他の6国は、秦に対抗して6国が同盟を結ぶ「合従」や、各国がそれぞれ秦と結んで安全をはかる「連衡」など、権謀術数をつくした外交戦略が展開されました。

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このあたりは、中世ヨーロッパの王朝外交と似ているところがありますよね。春秋戦国時代は中国大陸の1つ1つの国が、中世から近世ヨーロッパと立ち位置が似ています。

しかし、秦は巧みに6国を分断。秦の一強時代から中国統一を目指していきます。

どんな王がいた?

春秋時代の代表的な王は「春秋五覇」です。
これは、周王朝に代わって天下の統制を取り仕切った国の国主を5人挙げたものです。

春秋時代には基本的に「王」は周の王。
そこで、その他の君主のうち抜きんでた者を「覇者」と呼びました。

覇者と目されるには、他国を圧倒する国力で抜きんでるだけでは足りません。
覇者はその国力で、中国周辺の民族から中国を守ることを求められます。また、諸侯を招集してその長として指導することで小国を守ったり、滅ぼされた国の復興などを行ったりしました。

春秋五覇について

では五覇とは誰をさしたのでしょう。
斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王の闔閭(あるいはその息子の夫差)、越王勾践。

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ただし、呉王、越王に代えて秦の穆公、宋の襄公を入れる説もあります。

戦国七雄について

後半の戦国時代に入ると「斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙」の戦国の七雄が勢力を拡大

その中で最初に抜きんでたのは魏。
とくに魏の恵王は、諸侯の間でも王の称号を初めて使うほど勢力を誇りました。

次に強国となったのは斉の威王です。
威王は馬陵の戦いで勝つと魏の恵王、韓の昭王を従属させます。

さらに時代が下ると、西にあった秦の昭襄王と東にあった斉の湣王が、王の上の称号である帝の称号を使うことを決めます。しかし斉が没落していき、秦の一強となると秦に蠃政があらわれ中国を統一し始皇帝となりました。

どんな人たち(武将・軍師)がいた?

春秋戦国時代には多くの武将・軍師・学者が登場します。
長い戦いの時代が続き、哲学や思想が発展した結果、諸子百家と呼ばれる学者を生み出しました。

例えば戦国時代が始まると、孔子は臣下が王を追い出す風潮を嘆きました。
そこから儒教が生まれます。「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子を、「百家」は儒家・道家・墨家・名家・法家などを指します。

このほか、国々が争う間に軍師や政治家、将軍が活躍しました。

管仲

管仲

春秋時代、斉の政治家、宰相。

「国を強くしたければ国を富ませる必要があり、 国を富ませたければ国民の生活を富ませることが必要だ」と説きます。

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斉の桓公に対し述べたのが「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」です。ここから、現在私たちが使っている「衣食足りて礼節を知る」という言葉ができました。

この提言から、桓公によってすぐさま宰相に任命されました。

孫武

孫武

春秋時代、紀元前535年に生まれます。

もと斉の国の人ですが、その兵法の才能を買われ呉王である闔閭に招聘されます。
孫武の力を借り、呉は大国の楚を倒し斉や晋にも迫って隣国の越にも大打撃を与えます。結果、春秋末期最強の国になりました。

孫矉

孫臏

戦国時代、紀元前4世紀ごろの人で孫武の子孫とされます。

孫武と同じく孫子と呼ばれ「孫子」の作者とも言われます。学友であった魏の将軍龐涓におとしめられ、臏刑(両足を切断する刑)に処されたうえ顔に入れ墨を入れられました。その後、魏を脱出し、斉で威王の軍師となり馬陵の戦いで大勝利します。

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その孫子の兵法を編集、注釈を加えたのが、後の三国時代の英雄の一人、曹操で『魏武注孫子』が現在一般的に多くの人が手にする孫子の兵法ですね。

楽毅

戦国時代、燕の武将。

もともとは趙、魏に仕えていましたが燕の昭王が人材を求めていると聞いて、亡命し仕えます。昭王を助け仇敵であった斉を五国連合で攻め立て、斉を滅亡寸前まで追い込みます。

かの、諸葛亮孔明も楽毅を尊敬していたと言われています。

白起

戦国末期の武将。

秦の人で昭襄王に仕え各地を転戦し趙・魏・楚などから数々の勝利をおさめ、秦の領土拡大に貢献しました。相手を観察し作戦を変えていくことで奇策を繰り出していきます。戦国時代後期最大の戦いと言われた趙との長平の戦いで、降伏兵30万人を生き埋めに。

世の中の評判が大きくなりすぎたため自害させられました。アニメ、キングダムにも登場します。

范雎

戦国末期の政治家。
秦の人で昭襄王に仕え、遠くの国と同盟を結びながら手近な国を攻めとる「遠交近攻」政策を進言し秦の優勢を決定的なものにした。

アニメ「キングダム」はいつの時代?

アニメキングダムと春秋戦国時代

キングダムは下僕の身分から天下の大将軍を目指した信、それと後に秦の始皇帝となる蠃政やその仲間たちの話です。

500年以上ものあいだ続いた春秋戦国時代でしたが、最後に統一したのは秦でした。
秦は戦国七雄の1つの国。秦の政治的な基礎は、始皇帝が統一する100年ほど前には商鞅によって制度化されています。

商鞅は秦の若き王、孝公に仕えると地方に統治能力を与える封建制度から中央集権体制である郡県制に変えていきました。統治している国内各地の権力者を廃し、各地域に「県」を置きます。

また、他国を侵略した地域には「郡」を置きました。

これらの「郡」や「県」には中央から官僚を派遣し知事として行政を行わせ王の政治を反映させました。より国の力を効率的に運営していくためです。

また戦国時代に入ると、多くの人材を必要としました。

そのため身分に関係なく人材が登用されるさまが「キングダム」でも描かれています。
信が実力だけで大将軍を目指すのもそのような背景があります。

このような時代背景から、キングダムは戦乱のなか多くの人物が躍動し、魅力的な作品になっています。

MEMO
アニメ『キングダム』をまだ見てないけど興味ある!そんな方は「『キングダム』のあらすじ、マンガ・アニメとの違いなどをまとめてみた!」の記事もあわせてご参照くださいね。
『キングダム』のあらすじ、マンガ・アニメとの違いなどをまとめてみた! 『キングダム』のあらすじ、マンガ・アニメとの違いなどをまとめてみた!

まとめ

以上、春秋戦国時代についてまとめてみました。

今でも知られている孫子などはこの時代に活きていたのかと思うと、面白いですね。アニメ「キングダム」と合わせてじっくり見てみるのもいいかもしれません!

Chise&大山俊輔