大山俊輔
さて、コロナウィルス騒動でリモートワークに移転している企業も多いのではないでしょうか。
実際、私達のシステムを開発してくれてるTechチームの面々などは、本業の会社なども早々にリモートワークに転じています。私達とのやり取りも、Slackでほぼ事足ります。こういう職種の人達は影響あまりでてなさそうですね。
でも、翻って私の周りのいわゆる大企業で働いている人たち。あ、でも、中小企業もか。
一応、名目上は「りも~とわ~く(棒)」をやってはいますがはたして仕事らしき仕事をやってるかといえば結構疑問符です(私の知人などの話を聞いていてもそうかなぁと思います)。
特に大企業で社内の古い基幹システムにしがみつかされ未だにメインフレームだったりロータスノーツ使ってるとことかは恐らく「りも~とわ~く」と名がつくばかりの自宅待機になっているのではないでしょうか?
その証拠に、私も仕事の合間に各拠点を移動していると日中は各地のサラリーマンのランチで賑わうお店は静かですが夜になると意外と元気です。結構、職場の愚痴も聞こえてきます。つまり、することなくて困ったサラリーマンが戻ってきているのです。
これはこれで、お店にしてはありがというということで良いのです。
でも、一つの疑問を投げかけます。
「組織」とは何なのでしょう?
そんなことを、このコロナショックによるりも~とわ~く騒動を切り口としてまとめてみました。
目次
日本型雇用~果たしてサラリーマンや公務員に忠誠を生み出すのか?
私が大学生をしていたのは1994年~1998年。
まだ、この頃はバブル崩壊後の余韻はありましたが、今ほど日本経済の落ちぶれた感はありませんでした。まだまだ名目GDPもぶっちぎりの世界3位。
1994年の一人あたりGDPランキング
見てください!アメリカや北欧諸国を下に眺めるのは気持ちいものです(笑)ということで、当時、大学の経済学部の学生でした私のゼミのテーマでも人気があったので「日本的経営」でした。
当時、日本的経営の強みでよく言われたのはこの3点。
この3点は当時、3種の神器と呼ばれていました。
・ 年功賃金
・ 企業別組合
でも、私、学生時代から終身雇用と年功賃金が果たして日本の強みかというのはちょっと疑問だったのです。そして、今、新橋や新宿の夜の居酒屋で一人晩酌して隣から聞こえてくる愚痴を聞いているとそれは確信に変わってきます。
そもそも、これら三種の神器は戦前の日本には存在しませんでした。
たしかにこの3つが日本の高度経済成長に合致したのは事実。
でもそれは、意図して作られたというよりは戦後日本が冷戦下の経済体制にたまたま合致した結果、高度経済成長につながったという文脈で見るほうがしっくりくるのです。経済学者の青木昌彦さんはこうした偶然を「意図せざる一致」と評しています。
高度経済成長期と平成~令和の世界の変化
では、この高度経済成長期と平成~令和の違いとは何でしょう?
その起点となるのは、1991年のソ連の崩壊と製造業のモジュール化ではないかと思ってます。
冷戦時の経済体制
冷戦という言葉を知ってる人は恐らく昭和世代ですね。
かつて、世界は西側と東側に別れていて原則としてこの両者間では人・モノ・金の移動は制限されていました。
その中で戦争に敗北してそこから奇跡の復活を成し遂げた国があります。
日本です。
この頃の日本は国内の内需産業を除けば、製造業が花形でした。
当時の製造業といえば、鉄鋼、繊維、そして、自動車など。こうした製造においては、地方出身の労働者の安定した供給と現場におけるすり合わせ、そして系列企業間とのすり合わせが重要となります。行動経済学者のダニエル・カーネマンのいうところのシステム1 – すなわち、脳の古層である爬虫類脳・哺乳類脳による直感的な処理 – が日本的すり合わせと相性が良いことはかつてより指摘されていることでした。
こうして、この時代の花形産業は日本においては垂直的に統合され、すり合わせや改善を通じて欠品率の低い高レベルな製品を提供することを可能としたのです。
そして、こうした時代の覇者となるためには、労働者が安定して在籍して現場業務に精通して自発的にやり取りすることが重要です。この時期に合致していたのが、日本的三種の神器である「終身雇用」、「年功賃金」、「企業別組合」だったのではないでしょうか。
こうして日本はエズラ・ヴォーゲルの言葉通り「ジャパン・アズ・ナンバーワン」になります。
プラザ合意(1985)・ソ連崩壊(1991)・中国の参加
ですが、この頃大きな変化が起きていました。
ひとつはプラザ合意(1985年)。
日・米・英・西独・仏が合意してドル円レートは1ドル260円から一気に120円まで円高になります。現在のトレンドはこの流れを受け継いでます。
同時に、円高により輸出に頼れなくなった日本は国内での内需振興を図ります。
正確にはアメリカからの要請で行います。こうして、内需が大フィーバー。バブル経済になります。
しかし、その後、日本は誤った金融政策により自らバブルを崩壊させます。
なぜか急ブレーキをかけた日銀の三重野総裁が「平成の鬼平」なんてもてはやされたのもこの時期です。
そして、日本のセルフ経済制裁と時を同じくして、東側の超大国ソ連が崩壊。そして、中国をはじめとした東側諸国が一気に世界市場に参入します。
私が大学生だったのはこの時期でした。とはいえ、まだバブル崩壊間もなくということもあり、日本の経済の足腰は非常に強固でしたし、阪神大震災後、GDP成長率は回復しアメリカに再び追いつきかけていました。私がバイトしてた焼肉屋さんも日販100万円なんて何度も見てきました。
内需大国への移行を消費増税でぶっ潰してしまう
プラザ合意後、日本は内需大国化しつつありました。
今も、個人消費がGDPに占める割合は6割以上。ドイツや韓国といった輸出依存の国とは全く異なります。外需依存度ランキングは世界184位。アメリカは202位で依存度の低さは先進国で1位ですが日本も2位です。(ドイツは61位、韓国は59位です。海外に頼りすぎですね。)
https://www.globalnote.jp/post-1614.html
このまま財政・金融政策を失敗しなければ日本はサービス産業への移行に成功するとともに、こうした産業で働く人達の所得も増えていき理想的な国内循環型の先進国のモデルに近づくはずでした。
しかし、ここで日本は1990年、1997年と消費増税をすることで内需を自らの逆噴射でぶっ壊してしまいます。ここで登場したのがロスジェネ世代です。
1997年は日本のモデルが一気に変わった瞬間です。今までの日本の三種の神器を信じて受験勉強してれば、これらの安定が提供されると思っていたら、大企業が一気に採用を絞ってしまい、こうした人々は派遣をはじめとした不安定な非正規雇用に流れ込みます。
黄昏研修と日本的雇用慣行
では、バブル前に入社した人々やロスジェネ世代で大組織にうまく逃げ込んだ人々はどうでしょうか?私が見ている限りは、決して幸せでもありません。
平成を振り返って・・・・ロスジェネ経営者の逆襲また、この時期に産業構造は大きな変化を遂げます。
垂直統合から水平統合への変化です。
かつての産業の花形は先程のように自動車、繊維、鉄鋼などです。
経営と現場が安定した職場と年次に基づく定時昇給を通じて競争力をあげるにこうした日本的雇用慣行はドンピシャでした(それを狙ってたのか偶然かは不明です)。
しかし、今のように産業の花形は半導体であり、PCやスマホなどのデジタルデバイスです。こうしたビジネスは急速に、世界的な地域最適化と分業体制が出来上がります。
産業の水平分業化です。
自社とその系列内のすり合わせで組み立てるより、世界中にサプライチェーンを分岐させて各地が得意な部品や組み立てに特化する。こうした変化の激しい時代に雇用を長期固定することはどんどん難しくなってきました。
1990年代後半~2000年代初期には日産やソニーがピンチに陥りましたし、2010年代はシャープが買われ、JALも倒産し、東芝もピンチに陥りました。当然、規模が小さくあまり表にはでないですがこうした会社と取引のある何千、何万という中小企業もピンチになります。
ですが、日本の雇用は硬直的・非流動的なため別産業への移動が難しいです。高度経済成長期にはこの硬直性・非流動性を通じた、社内ノウハウの蓄積とシステム1を通じたすり合わせが日本企業の強みでしたが、これが重荷になりはじめたのです。
こうして、多くの企業はおじさん社員を維持するため何をするでしょうか?
まずは、新卒・中途採用を絞り込みます。
そして、次に、派遣社員に置き換えていきます。
そして、残ったおじさんたちは40代後半から60代に入ると黄昏研修という厳しい現実に直面します。
最近よく聞く黄昏研修(たそがれけんしゅう)とは日本的上級国民の誕生~しがみつきと妬み・恨みを生み出すモデル
役に立たないスキル
バブル崩壊後、三種の神器である「終身雇用」、「年功賃金」、「企業別組合」はどのように機能したのでしょうか?
それは、会社の存続よりも今残っている人たちの延命です。
その結果、会社で出世するのは会社に貢献する人ではなく、上司との関係を重視する政治力のある人達です。この構図は、戦時中の帝国陸海軍でも同じことがいえました。実際、陸軍大臣、参謀総長などを務めた杉山元などは、そのあだ名は「便所のドア」とまで言われました(笑)。部下のいうとおりに、押しても引いてもいいなりで、周りと摩擦を起こさずポジショントークのみ。まさにいい人ですが、国家存亡の局面においては害悪以外何者でもありません。
現在上場大企業で創業者社長を除くと経営者になっているのはこの杉山タイプが多いと思います。その結果として、今、経団連の代表でもある日立の売上高の推移を見てください。
見事に成長が止まっています。
こうした政治ゲームに勝ち残った人たちが日本的上級国民と呼ばれる人々です。
上級国民とは!?職業別でみるのが正しい?(上級国民=既得権で守られているサバイバル力0の人)かつて、私達は貴族的な人々に対して敬意を持って見ていました。イギリスなどではノブリス・オブリージュ(高貴なる義務)を求められますので、戦争になれば真っ先に上級国民から戦地に向かいます。
一方、日本的上級国民はもっとも能力が低く政治力だけしかない人々です。しかも、経済センスゼロ、哲学ゼロ、人間力最悪、他の人のこと考えず、組織内のことだけ上手な便所のドア状態。。当然人の生き様は顔に出ますのでこんな風になっちゃいます(笑)
「そんな補正予算組むんだったら、その分法人税減税してオイラ達に還元しろやゴルァ(((;゚Д゚)))」デスか?
中西経団連会長、10兆円補正に否定的:時事ドットコム https://t.co/H1fNjjDMdO @jijicomより— とんぬら先輩RX (@stere0lab) December 9, 2019
居座るしかなくなる
では、パイが伸びない組織で、組織が硬直化するとどうなるでしょう?
まず、割りを食うのは派遣社員。
どんどん首を切られたり、採用を減らされます。
その次は新卒採用でしょう。
こうして、今、なんとかゲームに残っている正社員は「ノーメンクラトゥーラ(赤い貴族)」化していいきます。このゲームになると、評価対象は能力よりも政治力になります。いかに限られたパイ(席)を取れるか。そうじゃない人は、辺境(企業でいうと子会社や支社)に飛ばされてしまいます。
このゲームから漏れてく人達はどういう気持ちを抱くでしょうか?多くの人々は会社を恨むしかチョイスがなくなります。私がいつも思うのは、本当に日本の大組織で働く人で自分の働く場所を愛している人はどれくらいいるのでしょう?
正直、居酒屋の愚痴を聞く限り恨み・妬みの方が多く聞こえてきますのでちょっと心配になります。
(もちろん、ちょっとはいると信じていますよ)。
組織が提供すべきはエンプロイアビリティと退職後もつながる長くゆるい関係
さて、では締めくくりに入ります。
私にとって理想な会社と個人の関係とは退職後もつながる長くゆるい関係です。
そして、働いている間に会社や組織が提供するべきなのは偽りの安定(派遣や新卒を犠牲にした)ではなく、一生自分はどこに放り出されても食っていけるという気持ちをもたせてあげる汎用的なスキルを通じた安定ではないでしょうか?
もっとも組織人としてその組織を飛び出すことを前提にすると役立たないスキルは政治力です。
一方で、組織は定期的に変わることを前提にするとどんなスキルが必要かがそのスキルを提供する会社にも、スキルを身につけたい個人にも見えてきます。
たとえば、
・ マーケティングスキル
・ 営業・コミュニケーションスキル
・ 会計スキル
などは、業界が変わっても会社が変わっても基本的に汎用性がありますよね。
できればその会社独特の慣習に加えて、一般化された知識として身につければ業界が変わっても使いまわしがつきます。こうしたスキルを“employability”=「エンプロイアビリティ」、すなわち、
+
ability…スキル
です。
今までの日本企業は「雇用保障」という(実際は派遣や非正規といった弱者を犠牲にした)架空の美辞麗句を使ってきましたが、今後はこのエンプロイアビリティを提供することこそが、雇用側も被雇用者にとっても理想的な安定した雇用環境として考えも変わっていくのではと思います。
いつでも辞めれると思うからこそ本当の愛社精神がもてる
究極の愛社精神とはなにでしょう?
長くダラダラいることではなく、まず、今いるその瞬間にその会社の成長や発展と自分をすり合わせることではないでしょうか?
かつて機能した日本的雇用環境は今となっては不安定な世界経済の中で、従業員に失職の不安と引き換えに居座らせてしまう慣習に転じてしまいました。もちろん、研究開発などのように今も中長期的な時間軸で一つの組織で長くやってもらうことがメリットのある職種はあります。
こういう人は思いっきり日本的経営でいいと思います。
たとえばこんなケースです。
基礎研究系は、終身雇用と相性バツグンだと思います。
ノーベル賞級の発見を二度。
「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘”https://t.co/wEr4paNxQ2pic.twitter.com/lKZVN56Huj
— ものチャレ@RUI (@makoxmaco) March 21, 2020
実際、アメリカでもIBMのワトソン研究所などはある程度雇用環境安定させてますよね。
一方で、大多数の大企業や官公庁で働く人(特にオフィス系の人)に提供すべきはで一般化された知識でありスキルです。すなわち、
「ここで合わなくなっても、次にいきゃいいか」
という安心をもたせてあげるスキル。
すなわちエンプロイアビリティのあるスキルです。
私も今までお世話になってきた会社は幸い結構自由にさせてもらいました。ときには上司や社長とも大喧嘩してきましたが、その根底にあった考えというのは、
「これで自分が必要ないと思われればやめて次にいけばいいか」
と思わせてくれるスキルを手にいれる機会をくれたことです。
こうした環境を提示してくれた今までの会社には本当に感謝です。
そして、その気持があるからこそ、自分がいる間、その会社を良くしていきたい。そいう気持ちが芽生えました。これこそが、本当の愛社精神なのではないでしょうか?
さらに、辞めたあともそこで出会った素晴らしい仲間や上司との関係が他業界、他職種に転じたとしても友好的に維持されます。
日本の大組織での上司や同僚との関係は、極めて硬直的な縦割り組織内の関係であってタコツボ型とも言えるでしょう。一方で、流動的な関係はのちのちも緩ーく長ーく繋がっていくネットワーク型と言えます。
私も退職して別業界に転じてその瞬間はゆるーく繋がってた人が、5年後、10年後にまた仕事やプライベートで再び深い関係なることを多々経験してきました。
今のまま日本的三種の神器を維持すると、結局その矛盾は雇用の不安定な派遣や新卒にすべて押し付けられて、しがみつく自称「上級国民」という名の黄昏研修予備軍の可愛そうな人々を増やすばかりです。そして、人々から本当の愛社精神を奪います。
そうならないためにも、今回のコロナ騒動がこうした見直しにつながることを心から祈るばかりです。まずは、
見せかけの「りも~と~わ~く」に喝!!
大山俊輔