大山俊輔です。この週末芦屋に帰っていました。
私が芦屋市に生まれたのが1975年、そして、米国に留学するために芦屋市を出たのが1998年になります。1999年に帰国してからは東京で暮らしていましたので芦屋には年に数回帰宅するときのみ滞在しておりました。
私が芦屋市を含む阪神間地区の潜在性を意識するようになったのは、米国で始めに滞在したコロラド州ボルダー市での生活、そして、東京に来てからベンチャー企業を支援するベンチャーキャピタル(VC)業界に携わってから。
今までは、芦屋市というとお金持ちの方が多い街。
そして、豪邸条例があったりとニュースで話題になる街。
その程度でした。
しかし、仕事で芦屋に戻るたびにこの街を探索すればするほど、この街の将来性を日々強くしています。
私が携わっていたVCはアメリカにあるApax Partnersとの合弁会社でした。
アメリカではVCといえば、カリフォルニア州のシリコンバレーと呼ばれるエリアがメッカです。サンフランシスコから近い、Bay Areaと言われる地域。
ここと、芦屋市の湾岸部は産業を除けば住環境など非常に類似している。
そして、六甲山に上がった奥池エリアは標高はそこまでではないですがコロラドのボルダーと近い。どちらの街も私が住んでいた芦屋市とそっくりの環境でした。
阪神大震災から15年を経て芦屋も大きく様変わりしてきました。
湾岸部が拡張され、ベルポート芦屋に代表される新しい富裕層を惹きつけるエリアが開発され、また、若手の経営者達がユニークなショップを立ち上げている。
今回の帰郷では、Metsugerei Kusudaというドイツ料理の店を訪ねました。
恐らくご対応いただきましたのはオーナーの奥様?だと思います。東京に持ち帰り早速家族で召し上がらせて頂きました。
かつて、旧芦屋浜エリア(私はあえて、新たに開発された芦屋浜南地区を新ベイ・エリア、昔からの芦屋浜地区は芦屋浜と呼びたいと思っています)では、ミハイル・ヴェクスラー始め多くの亡命者がかつてのロシアやドイツから移住していた時期があり、ドイツ料理やドイツ菓子、そして、ロシア菓子などで財を成した人も多くいますので、メツゲライさんなどは純粋な日本人による新しい潮流だと思います。
こうした流れが続きつつ、食や住に関する文化面が新たに発展する流れは、かつての阪神間モダニズムの時代を想起させます。
当時は、繊維や軽工業などで財を成した富裕層が大阪などから芦屋に別邸を作ることでじ街が作り上げられました。当時の経済成長は環境に悪影響を与えながらの成長でしたが、これからの時代はより知的集約型な産業の集積による発展であれば、環境や景観に影響しない形での発展が可能だと思います。
そんな思いを胸にしながら今回の帰郷を終えました。
大山俊輔
PS:芦屋川を散策していたら、なんと、ヌートリアのつがいがいました。
帰化生物ですので、あまりよくないことですが、可愛くてついつい見惚れてしまいました。