大山俊輔
枝野氏「コロナ拡大、『災害』適用を」 政府に求める
西村大臣「(内閣)法制局と早速相談したが、災害救助法の災害と読むのは難しいという判断だ」https://t.co/jDEvdVZIJE
⇒検事長の定年延長ではユルッユルの法解釈変更を認める法制局が、「難しい」だってよ。笑わせる。— 毛ば部とる子_間合い七尺 (@kaori_sakai) April 28, 2020
最近の与党のグダグダをディスることは多いものの、野党はそれ以上に相手してなかったんですがこのコロナを『災害対策基本法』というのは良い案だなと思います。
海外の元首は「戦争」という言葉を使ってますし、アメリカなどは戦時国債を発行するとまで言っています。もう戦争に等しい被害を経済面で与えているのです。だからこそ、前回ご紹介したフランク・ナイトの「真の不確実性」に基づく対応を始めているわけです。
コロナショック〜フランク・ナイトの「リスク」と「真の不確実性」日本も欧米と同じく、すでに震災以上の経済的ダメージを、しかも、特定のエリアではなく全国に与えているわけですから、同等の対応でいいんじゃないでしょうか。
枝野さん、珍しく良い質疑でした。
こういう質疑してくれれば、野党の支持率も上がると思いますよ(笑)。
しかし、そのやり取りに対しての西村康稔経済再生担当大臣の答弁がちょい待った、の内容です。
いえいえ、ここでも法律ですかねぇ。
私は明治維新を日本人として誇りに思いますが、ひとつ、振り替えると明治以降の日本が江戸に劣るとすれば教育なのではと思います。教育と言っても知識(information)を増やす教育と、自分の考え方を磨く知見(intelligence)の教育があります。江戸期は情報が限られていたため、後者の知見を持つ人々は松下村塾や寺子屋から数多く排出されました。こうした人達が維新回天から明治維新の原動力となったのです。
一方で、維新が終われば今度は欧米に追いつき追い越せです。こうして、大学システムが導入され、欧米の蓄積をすべて是、すなわち、100点として教育が組み立てられました。当然、立身出世は欧米をすべて是として知識を詰め込めた人間に徐々に傾いていきます。
こうして出来上がったのが「でわのかみ」と呼ばれる人たち。
今も、「海外では・・・・・」って人多いですよね(笑)。
しかし、こうした教育の行き着くエリートはどんな人かといえば自分で考えられない人たちです。先程の西村さんも「法制局では・・・」と言っていましたよね。
つまり、法律そのものをどうするか、是非を考えるのではなくあるものとして解釈だけしていくかつての香港や東南アジアの華人が担っていた植民地官僚と同じようなことを日本国内で行ってしまうのです。どこかこういう人たちがおなじ同胞の日本人に冷たく感じるのは植民地でもないのに答えをすべて欧米に持っていく試行回路が脳内に出来上がりすぎてしまっているからでしょう。
この弊害は明治期には舶来主義としてお雇い外国人にすら心配される有様でした。
実際、東京大学にて、哲学や西洋古典を教えていたケーベル博士はこのような言葉を残しています。
「虚栄心と、自己認識の欠乏と、および批判的能力の更にそれ以上に欠如せること。これらの悪性の精神的ならびに道義的欠点は、西洋の学術や芸術の杯から少しばかり啜ったような日本人において特に目立ってまた滑稽な風に現れる。従って主として「学者」と言われ「指導者」と呼ばれる人達において認められるのである」
明治から大正・昭和までは西欧の価値観を100点に。
そして、戦後にはこの仕組はそのまま温存されて舶来知識の代わりに法科万能主義に変わっていったのです。(とはいえ、今も日本人は海外を敬う「でわのかみ」が多いですよね)
その帰結が映画『シン・ゴジラ』の前半ですよ。
ゴジラへの攻撃を防衛出動とするべきか害獣駆除とするべきかみたいな議論がありましたよね。
(シン・ゴジラがいまいち海外で受けが悪いのは、どの国もそんなことがあったら、非常時対応をするに決まってるからです)。
あれと同じ議論を今回コロナでもずっと行ってますよね。
目の前で、どんどん会社が倒れていっていることには目をつぶって最後まで法律とともに死す。
これが日本のエリート(棒)の姿だとすれば一度滅ぶべしでしょうね。
だからこそ、こんな時は「自分の内なる声に耳を傾ける」人間でありたいと思います。
そんな私のヒーローはこんな人達です。
大山俊輔