幸い、日本では現時点(2020年11月)コロナによる直接的な死者数は他の国と比べると非常に軽微に抑えられています。一方で、非常に気になるニュースがあります。
それが自殺に関するニュースです。
大山俊輔
三浦春馬さん、竹内結子さんはじめ有名人のみならず自殺者の数が2020年8月から前年比で増加傾向にあります。
そして、10月についに月2000人を突破しました。特に気になるのは、女性の増加数が劇的に増えたことです。もう少しで97年以降のデフレ期の自殺者と同じ状況をたどる可能性が高いのです。かつて、年間自殺者が3万人を超えた90年代末〜2000年代中盤にかけて日本は自殺による超過死亡者が10万人を突破しました。これは、日本が国運をかけて戦った日露戦争の死者数とほぼ同じです。
私も以前、下記のようなエントリで4月時点でコロナによる犠牲者数より自殺はじめ経済による犠牲者数が増えることについて非常に懸念していました。というのも、自殺と失業率に関する研究は非常に歴史が古く精度も高いので、未来図を想像しやすいです。当時の時点で、間違いなく、このままでいけば自殺者が増えることは容易に想像できたのです。
もはやコロナ犠牲者の定義を変える時期だ(犠牲者総数=「感染による犠牲者」と「経済苦による犠牲者=自殺者」)しかし、あの時は、まだまだ「コロナ怖い」が世の大勢ででした。それは仕方ないといえば仕方ないのですが、自分の周囲も含めてこの危機感をなかなか理解してもらえませんでした。実際、4月、5月、6月の自殺者数が少なかったときには、
- リモートワークで嫌な職場に行かないで良くなったから自殺が減った
- これは良い傾向だ
なんて、のんきな分析をこれみよがしに言う人たちもいましたよ。
大体、そういうこと言ってた人たちは現実世界に生きておらず、親の相続や仕事上ノーダメだで想像力が働かなかったのかもしれません。
ここで大事なのは、他者への思いやりであり、異なる業界の人たちへの想像力です。特に、人が本当に追い込まれて命を絶つまでにどういう心境をたどっていくのかに対する想像力が圧倒的に足りない人が多いことを痛感しました。しかし、社会で一生懸命切磋琢磨して生きてきていれば、コロナ禍のはじまりたての4月の時点で、今後どのようなプロセスで自殺が増えていくかの洞察は働くはずです。そうすれば、4月、5月、6月に自殺者が増えなかった時に、その人達がどんなことをしていたかは想像がつくはず。
私もそうでしたが、4月、5月といえば、
- とりあえず、当座の資金をなんとか確保するために銀行を日参する
- 役所にいって必要書類をもらいにいく
- 銀行融資のための資料をつくる
- 休業期間中のスタッフのためのマニュアルを作る
ずっとこんな感じでしたよ。
リモートもやってましたが、日本的なのんきなりも〜とわーくやってる余裕はありませんでした。
人生で最も忙しい時期のひとつでしたが、残念ながらお金はどんどんなくなっていきます。
そんな時期を経て、じわじわと再建の可能性を考えたり、自分の社会における存在意義を考えたりといろいろとするものです。ましてや、当時は、対面の商売ほど人々からは、
不要不急
扱いの時期です。
人と接するのが好きで、人生をかけてきた人にとってこの言葉がどれほどの絶望だったかは容易に想像できるはずです。
私は、もう少し不埒なもので図々しくしぶとく生き延びる覚悟でやってましたが、この道一筋の人でしたら本当に気持ち的にもきつかったはずです。
特にこのコロナの厄介なのは、業界・職種によってノーダメとフルボッコになる差が大きすぎることでしょう。
ノーダメ
・ 年金世代
・ 大企業サラリーマン(ピンチの業界でリストラ始まってるところ以外)
・ 公務員
フルボッコ
・ 自営業
・ 派遣・フリーランス・非正規
・ 芸能界など
おそらく、コロナに対する反応も全く異なることでしょう。
ただ、コロナで死んだ人が帰ってこないのは言うまでもないことですが、自殺で死んだ人も帰ってきません。更に、その人が自殺に追い込まれるまでの絶望を想像すればもう少し、日本国全体で大人の対応をとってもいいんじゃないかと思う今日このごろです。
日本は今まで何度と国難と言えるピンチがありました。
古くは、唐・新羅との白村江の戦い、二度に渡る元寇、そして、幕末〜日清日露の大戦、そして、第二次世界大戦の大敗北と数百万人単位で人々の命が失われるピンチをなんとか切り抜けて今があるのです。
もし、先人が私たちの周章狼狽っぷりを見ているとどう感じることでしょうか。
そんなことを思う今日このごろです。
大山俊輔