ローマ軍の逆襲を率いて、当時猛威を振るっていたハンニバルと対峙することになる、スキピオ・アフリカヌス。今回は、そんなスキピオが、どんな人生を歩み、偉業を成し遂げていったのか。ハンニバルとの関係も踏まえて徹底解説していきます。
フリスクン
大山俊輔
古代地中海世界に現れた二人の天才。
カルタゴの名将ハンニバル・バルカと好敵手スキピオ。
この記事では、ローマのスキピオ・アフリカヌスの生涯について解説します。イタリア国歌マメーリの賛歌にも登場する護国のヒーローの意外な側面を見ていくこととしましょう。
目次
スキピオ・アフリカヌスの生涯年表を徹底解説!
フリスクン
幼少期はどんな人?
紀元前236年、執政官を排出した、名門貴族の家で、スキピオは生まれます。
スキピオは、幼少の頃から評判がよく、早くから公職を経て元老院に入るようにと周囲から勧められていました。それだけ認められ、才能があったとされています。
スキピオの人生を変えた、大きな出会いとは?
ハンニバル軍のアルプス超え
幼少期から才能に溢れ、元老院への入党も進められていたスキピオ。しかし、17歳のときに、運命の出会いを果たします。
何が起きたかというと、第二次ポエニ戦争でした。スキピオは、兵士の一人としてローマ軍に従軍します。誰もが予想だにしなかった冬のアルプス山脈を踏破してイタリア半島に侵入したハンニバル率いるカルタゴ軍。
トレビアやカンナエなどでハンニバルの天才的な用兵を目の当たりにするのです。
さて、ここで、ハンニバルの猛攻について、少し解説します。
ハンニバル・バルカという人物は、世界史上最強の戦術家と言われています。第一次ポエニ戦争終了後、ハンニバル戦争とまで言われている、ローマ史上最大の戦いを引き起こした張本人です。まず、ハンニバルは、ローマの同盟都市であるサグントゥムを攻めます。これで、ローマへの宣戦布告が完了です。サグントゥムは陥落し、そのままの勢いで、ローマのあるイタリア半島へ進軍。ローマ兵が考えもしなかったルートで攻め、陥落寸前まで追い込みます。
大山俊輔
その様子を直で見ていたスキピオ。
なんとか第二次ポエニ戦争初期のハンニバルの快進撃の時期を生き延びます。
ヒスパニア(スペイン)へ
なんとか第二次ポエニ戦争前半のカルタゴ優勢の時期を戦地で生き延びたスキピオは、24歳という若さで、公職を得ることになります。ハンニバルとは、10歳ほどの年の差がありました。
カンナエの戦いで大敗を喫したローマは、直接対決でハンニバルを倒す術などは存在しないと悟ると、軍事的に会戦でハンニバルを倒すのではなく、脆弱な補給路を断つ作戦に出ます。
そこで、一進一退の攻防が続くヒスパニアにスキピオを派遣します。
スキピオは、ハンニバルの弟たちが支配していたカルタゴ・ノヴァを急襲し、敵勢力を速やかに攻略して占領します。ヒスパニアの現地民を買収して統治を安定させ、3つに分かれていたハンニバル軍が体制を整える前に直接対決に踏み切ります。
スキピオとカルタゴの関係は?
ハンニバルが、イタリア半島への猛攻を繰り返して8年が経とうとしていました。
ハンニバルの本拠地であるヒスパニア奪取を目指すスキピオは、カルタゴ軍の撤退経路に伏兵を配置します。強固な防御策を講じていたため、油断していたカルタゴのハンニバルの弟ハシュドルバル率いる軍に向かって進軍します。「本格的な攻撃はありえない」と思い、陣形も整えていなかったカルタゴ軍は、ローマ軍の猛攻に耐えきれず、あえなく敗れることになります。
ハシュドルバルの軍は、そのままヒスパニアを放棄。イタリア南部を占領統治しているハンニバルと合流することで、戦況を変えようとします。
しかし、アルプスを越えイタリア半島に侵入したところを、待ち伏せていたローマ軍に壊滅させられます。この戦いによって、増援が期待できなくなったハンニバルはイタリア半島に閉じ込められることとなります。
また、スキピオはもう一つ大きな味方を手に入れることに成功しました。
それは、カルタゴ騎兵の要であったヌミディア騎兵。ヌミディア王との交渉に成功し、地中海世界最強の騎兵兵力をローマは手にすることになります。窮地に追いやられたカルタゴは、ハンニバルのもうひとりの弟マゴに北イタリアに侵入して、南半島のハンニバルと呼応して戦うように命令します。突然現れたカルタゴ艦隊は、奇襲によって優勢を勝ち取ります。
そして、北イタリアの現地部族たちと反ローマ同盟を形成します。
マゴの兵力は、ローマ軍の防衛線を打ち破るには全く不足していましたが、現地でガリア人などから兵を募り勢力を拡大。ハンニバルとの合流をするため、進軍を開始します。しかし、戦線は好転しません。
ローマに戻ったスキピオはどう動いた?
ハンニバルがイタリア半島の南に居座りを決め込む中、会戦での勝利を望めないローマは思い切った作戦を立てます。
アフリカ遠征です。
ヒスパニア奪取と同じくハンニバル率いる最強の軍をイタリア半島内に押し込んでいる間に、敵の本拠地である対岸のカルタゴを攻略してやろうという作戦です。
スキピオは、カンナエの戦いで生き残った兵をはじめ屈強な軍隊を編成。シチリア島で鍛錬を重ねます。当時スキピオは、31歳。この大躍進をよく思わない元老院は、ローマ軍の世紀の作戦としては認めず、ローマ本国からの経済的な支援や援軍は望めない中で、北アフリカに渡航することになります。
4万にも及ぶローマ兵は、奇襲によってカルタゴ軍を蹴散らします。
しかし、カルタゴ本軍が反撃を開始すると、兵力が劣るローマ軍は、一時撤退を余儀なくされます。スキピオはこの隙に兵力を増強させるとともに、敵の配備組織などの情報を集め、戦闘の計画を練り上げます。そして、春の訪れとともに、野営地を放火し、破壊します。先制攻撃を仕掛け、逃げ惑う4万のカルタゴ兵を虐殺してしまいました。
さらに、スキピオは精鋭部隊を率いて、カルタゴ軍と衝突。兵力は圧倒的にカルタゴ軍が勝っていたものの、スキピオが機転を利かせた包囲戦を張り、見事勝利します。カルタゴは、ダメ元でローマとの講和を進めます。その裏でイタリアからハンニバルを呼び戻し、一戦を交える事を決意します。
補給線が封じられたはずのイタリア半島で十数年もの間、攻撃を続けていたハンニバルが、カルタゴへ戻ると、ここで、スキピオとハンニバルがザマという場所で相対することになるのです。
大山俊輔
ハンニバルと会ったスキピオは、どう動いた?
ザマで会見するハンニバルとスキピオ
スキピオとハンニバルは、通訳だけを連れて進み、互いを認め合う好敵手として、交渉による解決を試みましたが、交渉は決裂します。
両陣営は、それぞれの持てる全ての兵力を引き連れ、決戦が行われることとなるのです。これが有名な、ザマの戦いです。カンナエの戦いでは、騎兵を利用し、敵兵を包囲して殲滅させたハンニバルでしたが、このときヌミディア騎兵はローマ側に寝返っています。逆にスキピオは、ハンニバルの軍を包囲して、見事スキピオが勝利します。
ザマの戦いによって、カルタゴは、本国以外の領土を放棄。
こうして第二次ポエニ戦争は終幕するのです。
スキピオの晩年は?
ローマに戻ったスキピオは、熱狂的な歓迎を受け、凱旋式を挙行すると、数々の高待遇を断り隠遁生活をします。
しかし、元老院の実験を握った、政敵のカトに賄賂疑惑で告発されます。その事件をきっかけに表舞台から完全に姿を消し、墓石に、「恩知らずのわが祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」と刻ませると、ハンニバルと同時期に生涯無敗を誇ったまま人生の膜を閉じたとされています。
スキピオの名言を徹底解説!
生涯を無敗で終えた、スキピオ・アフリカヌス。彼には、名言も数多く残されています。今回はその中でも3つ、ご紹介します。
会計検査官に対して
帆に風をいっぱいはらんで戦闘に向かいつつある人間には、
むやみとやかましい会計検査官は無用だ。
国家に対してわれわれは、金銭での責任でなく、行為の責任を負うからである
これは、戦いに出る男の言葉です。
生死がかかっている戦場には、経済的なことを考えて乗り込めません。国家に対して、どれだけ経済的に正しく会計しようとも、死んでしまっては意味がありません。行為の責任を負うことになるからです。
街の長老たちから、許婚がいる美しく若い娘を贈られたことに対して
個人としてならばこれほど嬉しい贈物もないが、戦争続行中の司令官となると、これほど困る贈物もない
これは、許婚のことを知った上での発言か、それとも生涯戦うことに専念した男の言葉か、どちらかの意味も込められていると考えていいと思います。スキピオは、自分が戦争続行中の司令官であると、女性のことを考えていられません。しかも、相手の若い娘は、許婚もいます。そこで、このような言葉をかけ、その場にいる全員を圧倒したのです。
ハンニバルに対して
あなたには明日の会戦の準備をするようすすめることしか、私にはできない。
なぜなら、カルタゴ人は、いや、あなたは特に、平和の中で生きることが何よりも不得手なようであるから
ザマの戦い開戦前、通訳を介して会話をしたハンニバルとスキピオ。
そこで、ハンニバルに対して、こう述べたとされています。十数年ものあいだ、イタリア半島で猛威を振るったハンニバル。そのハンニバルを好敵手として、これから戦争を仕掛けるものとして、言葉をかけたのです。
まとめ
スキピオ・アフリカヌスは、17歳という若いときから、戦いの場に身を置き、何十年もローマの為に尽くしてきました。その才能は、今まで語り継がれており、漫画やアニメなどでもモデルとなったキャラクターが多数存在しています。
これから先のローマは、マケドニアを支配したりと活動勢力を広めていきます。
スキピオ・アフリカヌスのおかげで、ローマは壊滅を免れ、そして、のちの大帝国を築く基盤を作り上げたのです。
フリスクン