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歴史オタク経営者が太鼓判を押す歴史上の人物(偉人)ランキング12選!(かなり個人的主観)

歴史オタク経営者が太鼓判を押す歴史上の人物(偉人)ランキング11選!(かなり個人的主観)

歴史とはさまざな人々の試行錯誤の結果です。

何百万人という人々を殺した独裁者もいれば、その独裁者から国を守ったヒーロもいます。
あるいは、黙々と自分の信じる発見のために研究室にこもった人もいますよね。

もちろん、ひとりひとりの人生にとってヒーローは間違いなく自分自身です。
しかし、ときに、気持ちが落ち込んだ時、そして、勇気を出さなければならないときに力をかしてくれるのが偉人と呼ばれる人々です。

大山俊輔

本業は会社経営者。女性限定・初心者専門の英会話スクール b わたしの英会話を運営しています。もし、起業してなかったら歴史学者になりたかった・・・(結構マジで)

このエントリでは中小企業の社長業をやってる私のかなり個人的に偏りのある評価ではありますが、辛かった時、勇気を出したい時、そして、逃げ出したい時に振り返った英雄、偉人といった人々を世界史・日本史からピックアップしてご紹介します。

しつこいですが、かなり偏ってますからね(笑)

目次

ここ一番の勝負をする時に振り返りたい歴史上の偉人

メフメト2世

オスマン帝国・メフメト2世

時代:中世(1432~1481) 国:オスマン帝国(現在のトルコ周辺)

オスマン帝国の第7代スルタン(王)で1000年以上の長きに渡って地中海世界の覇権を握っていた東ローマ帝国(ビザンティン帝国)を滅ぼす。ヨーロッパの中世を武力で終わらせ、そして、オスマン帝国がアジア、アフリカ、ヨーロッパの3大陸にまたがる大帝国となる基盤を作った偉大な王です。

メフメト2世の名言

「わたしがあなたからほしいものは、ただ一つ。あの街(コンスタンティノープル)をください。」

見事なまでに彼の歴史上の偉業と彼の言葉がリンクしてますね。
しかし、この言葉は当時ツンデレ王だということで、前王の側近たちから大きな反発を呼んだそうです。もちろん、そんなことは気にせず、帝国の総力をあげてコンスタンティノープルに攻め込みます(笑)。

どこが好き?

とにかく変わり者であり、イスラム君主なのにヨーロッパ(主に古代ギリシャ)大好き。

コンスタンティノープルを陥落させた後、自らを「Kayser-i-Rûm(カイセリ・イ・ルム)=ローマのカエサル」と名乗ってしまうくらいのぶっ飛びっぷり。しかし一方で、幼少期には、一度、王に即位したにもかかわらず側近に実力不足扱いされ廃位されたりと苦労もしてきています。そして、コンスタンティノープルがイスタンブルと呼ばれるのは、まさに彼の征服事業の賜物です。

メフメトは結構私の大好きな人物上位にいますのでブログでも詳しく紹介しています。

オスマン帝国・メフメト2世 メフメト2世の生涯 ~ 力づくでローマ帝国の後継者となった男

ハンニバル・バルカ

ハンニバル・バルカの彫刻

時代:古代地中海(BC247~BC183) 国:カルタゴ(現在のチュニジア)

次に紹介するのはハンニバル。私の髪型は主人公の一人をハンニバル・バルカとして描いた漫画「アド・アストラ」に登場するハンニバルと同じです(笑)。古代地中海世界のチャンピオンを決定する戦いでもあったポエニ戦争(ハンニバルが活躍するのは第二次ポエニ戦争)の主役の一人。

ハンニバルの名言

「方法は見つける。なければ作る。」

アルプス越え、カンナエの戦いと歴史上の無理ゲーをこなしまくってきたハンニバルらしい言葉です。

どこが好き?

5万人以上もの兵士と戦象を伴い、誰もがなし得なかったアルプス超えを敢行したこと。そして、カンナエの戦いという人類史上ありえないような包囲殲滅戦を実行し、ローマを滅亡寸前まで追い込んだ知略。ここまでの無理ゲーにも関わらず、民族・言語が異なる多国籍軍を10年以上にわたって敵国で運用したその人間力。現場リーダーの鏡と言えるでしょう。

しかし、ここまでの偉業を成し遂げながらも、ローマを滅ぼせない最後の大胆さがかけていたこと。部下のマハルバルハとは、最後の大胆さが欠けたことで、「ハンニバル、あなたは戦争に勝つ術を知っていても、勝利を活かす術は知らない」とまで言われる始末(これは、IFですがマハルバルの言う通り、カンナエ後、ローマをゴリ押しで攻めてたら歴史は違ったかもしれません)。

このあたりが孤高の天才であったハンニバルに人間味を感じさせるところです。

相当に私はハンニバルが好きなので、彼を扱ったエントリは結構書いています。
是非、ご参照ください。

ハンニバルのアルプス超え ハンニバル・バルカってどんな人!?孤高の名将、戦術の天才と言われた男の生涯 カンナエの戦いを徹底解説 ー【図解つき】戦術の天才ハンニバルの集大成とも言える芸術的包囲

ケマル・アタテュルク(ケマル・パシャ)

ケマル・アタチュルク

時代:近代(1881~1938) 国:オスマン帝国~トルコ共和国(現在のトルコ)

第一次世界大戦のガリポリ戦役における英雄。オスマン帝国敗戦後は、連合国の進駐に対してNOを突きつける。希土戦争(ギリシャ・トルコ戦争)によりギリシャ軍を放逐し、トルコ革命によりオスマン帝国は滅亡。新しくトルコ共和国が誕生します。

ケマル・アタテュルクの名言

「私がトルコだ。私を滅そうとすること、それはトルコ自身を滅そうとすることだ。私によってトルコは呼吸し、トルコによっては私は存在するのである」

人生をトルコの独立とトルコ国民の育成に使い果たして早世したケマルらしい言葉です。

どこが好き?

ケマル・パシャといえばイケメン。世界史の資料集でもNo1のイケメンではないでしょうか。

一方、自身の人生を国民国家トルコの独立とトルコ国民の育成に使い果たしたため、酒と女には相当ゆるく何度と肝臓関係の病気で死にかけたりと人間味のあるリーダーでもあります。無私の精神で走り抜いた人生であり、短く散る様に惹かれますね。

ケマルについてもまとめてますので是非、興味ある方はご覧ください。

ケマル・アタチュルク 私の人生を変えた偉人 – 世界史No1のチート、ケマル・パシャ(アタテュルク)を好きなわけ

北条時宗

北条時宗

時代:鎌倉時代(1251~1284) 国:日本

日本からは北条時宗をランクインさせたいです。

若くして、執権に就任。日本史上最大の国難ともいえる元寇に対処した若きリーダーです。

北条時宗の名言

「忍耐は苦しい。けれどもその実は甘い。」

おそらく本人の言葉ではなくドラマなどからの引用ですが、国難にあたるリーダーの心境とはかくのようなものなのではと思います。

どこが好き?

18歳で執権に就任するやすぐ二月騒動と呼ばれる内紛により、異母兄の時輔や、一族の評定衆北条時章・教時兄弟を誅殺し、世良田頼氏を佐渡へ配流させるなど過酷な処断を行います。まず、このような非常時にはローマなどの国では独裁官が任じられますが、日本でもトップダウンで即断即決が求められました。

口で言うは易く行うは難しとはよく言ったもので18歳の少年がこれだけのことを行ってでも、国家総動員体制を構築したという決断力が好きです。元寇についての解説は、下記のエントリでも詳しくまとめていますので合わせてご参照ください。

元寇を徹底解説 一般的なイメージと最近の研究を交えて解説します 元寇の真実と鎌倉武士 | 文永の役・弘安の役とはどのような戦いだったのか一般的なイメージと最近の研究を交えて解説します

バイバルス

バイバルスとは

時代:中世(1223~1277) 国:マムルーク朝(現在のエジプト周辺)

バイバルスといえばアイン・ジャールートの戦い。

当時最強であったモンゴル軍を局地戦とはいえ打ち破りイスラム世界への進出を阻止しました。

バイバルスの名言

「Threats do not harm me!」

脅威が自分を傷つけるのではない!
まさに、今のコロナ禍の人々が聞くべき言葉かもしれません。確かに脅威は存在しますが、脅威そのものが人々を押しつぶすのではなくそれに対する恐れや不安の感情が押しつぶすわけです。

世界最強のモンゴル軍が近づく中、自身とイスラム世界の運命を切り開いたバイバルスらしい言葉です。

ちなみにモハメド・アリも同じようにこう言ってます。

Fear is not real. It is a product of thoughts you create. Do not misunderstand me. Danger is very real. But fear is a choice.
「恐れ」は現実じゃない。自分自身で作り上げた幻影なんだ。勘違いするな。危険は現実の物だ。でも「恐れ」は自分で選んでるだけだ。

どこが好き?

バイバルスを選ぶ理由は超がつく苦労人だからです。

もとはキプチャク草原(現在の南ロシア)にいた遊牧民族キプチャク(テュルク系)で、モンゴル軍の捕虜になり奴隷の身へ。イスラム世界に転入し、なかなか買い手がつかなかったものの、アイユーブ朝の将軍に買われてエジプトへと流れ着きます。

そこから一度は出世し十字軍との戦いに勝利するなどしますが、再び政変に巻き込まれて亡命。その後、イスラム世界にモンゴル軍が進出したことをきっかけに、救国の英雄として立ち上がります。

アイン・ジャールートの戦い後の政争にもしたたかに勝利し、マムルーク朝のスルタン(王)に即位します。晩年は飲酒が多く(面白いことに、イスラム君主は結構酒に弱いのです(笑))腹痛で死去。

エジプトはじめイスラム世界では人気がある人です。

織田信長

織田信長

時代:室町後期〜安土桃山時代(1534~1582) 国:日本

織田信長といえば、やはり日本が近世に入るきっかけを作った人物と言えるでしょう。
桶狭間の戦いから比叡山焼き討ち、そして、まさかの本能寺と兎にも角にも48年の生涯を通じて型破りな人生を走り抜いた。

織田信長の名言

「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」

まさに戦国の世に生まれた風雲児らしい言葉です。

他にも数多くの名言を残していますが、この言葉が一番信長らしいですね。

どこが好き?

信長を選ぶ理由はやはり革命児であったこと。
しかし、この革命児は短気なイメージとは逆に非常に慎重かつ我慢強くもあります。

乾坤一擲の桶狭間の戦いのイメージから織田信長といえばイチかバチかを演ずるイメージがあるかもしれません。しかし、信長はその後の人生で、自軍が敵軍より少ない戦いを挑むことは少数の例外を除いてありませんでした。

また、父信秀から受け継いだ尾張(全土ではない)とその宿老の人間関係にも苦労します。佐久間信盛に至ってはリストラするまで20年以上我慢しているくらいです。意外と我慢強いところも私が信長を好きな理由です。なお、桶狭間の戦いの解説は下記のエントリで詳しくまとめています。

桶狭間の戦いの真実 | 戦いの場所、勝因、その他数多くの謎をわかりやすく徹底解説! 桶狭間の戦いの真実 | 戦いの場所、勝因、その他数多くの謎をわかりやすく徹底解説!

ボロ負けして落ち込んでいる時に振り返る歴史上の偉人

劉邦(高祖)

劉邦とは

時代:古代中国(BC256~BC195) 国:中国

農民(侠客)から皇帝へ。アメリカンならぬチャイニーズドリームの体現者でもあります。

数百年に渡る春秋戦国の騒乱を統一した秦の始皇帝ですが、死後あっという間に大陸は再び騒乱の時代へ。その騒乱の中から劉邦と項羽が台頭し、最後は劉邦が勝利して漢王朝(前漢)を興します。最近はマンガ『キングダム』の影響で始皇帝(秦王政)人気ですが、私はやっぱり劉邦かなぁ。

『キングダム』のあらすじ、マンガ・アニメとの違いなどをまとめてみた! 『キングダム』のあらすじ、マンガ・アニメとの違いなどをまとめてみた!

劉邦の名言

「わしは張良(ちょうりょう)、蕭何(しょうか)、韓信(かんしん)の三人をよく用いることができた。これが天下を取った所以だ」

まさに、自分自身ではなく人を使うことの天才だった劉邦ならではの言葉です。

どこが好き?

劉邦が好きな理由はやっぱり人を使うことの上手さ。

激情型で時には部下を叱責するけれども、時には情にあふれる項羽は、戦えば一騎打ちで叶う将がいないほどの名将。一方、劉邦は戦いは得意ではなく、ひたすら負けっぱなし。それでも、部下は劉邦を見捨てず最後は垓下の戦いで項羽に勝利して天下を取りました。

それが出来たのも、やはり自分の足らぬをよく理解したことでしょう。

晩年は韓信はじめ功臣を殺したり左遷したりと惜しいところがあるのですが、やはり、会社経営をしているとどうしても部下にいい姿を見せたいと思ってしまうものです。そんなときには時に、劉邦を思い出したりします。

曹操孟徳

曹操孟徳

時代:後漢末期(155~220) 国:中国

曹操も私の大好きな人物です。私が中学〜高校時代はコーエーの三国志1〜3が大ブームで、友達のうちに泊まって徹夜で三国志をやったものです。日本では当時は劉備人気でしたが、私たちの間では曹操が人気で、みんな自分のことを「丞相」と言ってましたよ(笑))。

曹操の名言

「天下の知恵を集めて、天下の道理に従って、 どうして、天下に、出来ないことがあろうか」

曹操は数多くの言葉を残しています。

有名なのは、「子治世之能臣亂世之奸雄」(子は治世の能臣、乱世の奸雄(姦雄))という言葉ですが、果たして曹操は自身を本当に奸雄(ずる賢い英雄)と思っていたのかはなはだ疑問です。自身は、魏王にはなりましたが最後まで漢の献帝の臣下の立場を貫きました。

なお、曹操ってどんな人とあまり三国志に馴染みのない方には下記のエントリがおすすめです!

歴史オタクが三国志の曹操について初心者にわかりやすく解説!

歴史オタクが三国志の曹操について初心者にわかりやすく解説! 歴史オタクが三国志の曹操について初心者にわかりやすく解説!

どこが好き?

曹操を選ぶのはやはり天才であるのにどんくさい人間らしさを多分に内包しているアンバランスさ。

生涯の戦績も素晴らしいものですし、勝率は8割以上と素晴らしいのですが時には赤壁の戦いで大ポカンをやってしまったり宛城の張繡攻めでは、女性にハマってしまい、策略にハマって忠臣典韋や息子曹昂を失うありさま。もし、曹操がパーフェクト超人だったら、羅貫中の三国志演義でも悪役として本当ににくい存在になっちゃったことでしょう。

ですが、時にこうしたポカンをして反省して、そして、次に活かす。この人間らしさが曹操最大の魅力と言えるでしょう。私も会社経営やってて、業績が悪くて落ち込むときなどは、赤壁の戦い後の曹操が部下に反省を語りかけるシーンをドラマやマンガで何度も見直してしまいます(笑)。

いつか、この歴史エントリでも紹介したい英雄ですね。

冷静に物事を判断する時に振り返る歴史上の偉人

ファビウス

ファビウス

時代:古代ローマ(BC275~BC203) 国:イタリア

本名は長くなりますが、クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートル。ローマの盾として、宿敵ハンニバルと対峙し、持久戦で苦しめます。しかし、持久戦略はローマ市民にはなはだ不人気でその名に冠したクンクタートル (ラテン語: Cunctator) は「のろま」「ぐず」といった意味でもあります。

ファビウスの名言

「その時が来ればローマの不名誉を全て背負い快く死んでやろう」

すいません。これは、マンガ「アド・アストラ」におけるファビウスの言葉です。

古代世界最強の名将であったハンニバルに叶う将は、その当時ローマにはいませんでした。唯一できることは、勝つことではなく負けないこと。ハンニバルの弱点である、兵站と寄せ集めの軍の分解を狙ってファビウスは焦土作戦とも言える持久戦を採用します。ローマや同盟市民にはなはだ不人気のこの作戦をやり抜く覚悟をこの言葉がうまく体現していますね。

どこが好き?

ファビウスが好きなのは、己の限界を知った上で、今できるベストな戦略・戦術を採用する精神力の強さです。

当初、クンクタートル(のろま)と呼ばれたファビウスですが、忍耐できなかったローマ市民は強硬派のウァロを執政官に選任し、破滅的大敗ともいえるカンナエの戦いへと突き進みました。戦後、ファビウスの熟慮に気づいたことで、このクンクタートルという言葉の意味は、のろまという蔑称から「細心、周到」という意味に転じます。

ロンドン・ビジネス・スクールの創設きっかけとなっフェビアン協会もファビウスから名前をとっています。

自分なんてまだペーペーだと振り返る時の歴史上の偉人

スキピオ・アフリカヌス

スキピオ・アフリカヌス

時代:古代ローマ(BC236~BC183) 国:イタリア

スキピオといえばハンニバルの好敵手。ことごとく、ハンニバルの取ってみた作戦を分析した上で、それを昇華させて最後はザマの戦いでハンニバルを破ります。今のイタリア国歌にも、このような一節がありスキピオが人気があることが伺えます。

Fratelli d’Italia,l’Italia s’è desta,
イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた

dell’elmo di Scipio s’è cinta la testa.
スキピオの兜(かぶと)を頭に戴き

Dov’è la Vittoria? Le porga la chioma,
勝利は何処にあらん

スキピオの名言

「You caused me to be.  It’s not the same thing.」

ハンニバルとスキピオはザマの戦いの直前に会談をしました。その時にハンニバルはスキピオに対して「I made you.」(私がお前を作ったのだ)と言ったと言われています。

スキピオはハンニバルの戦術を徹底的に研究し、第二次ポエニ戦争後半のローマの反撃に貢献します。ハンニバルからすれば、「また、真似された!」と思ったことも多いでしょう。一方で、スキピオはスキピオでハンニバルを敵国の人間ながら、偉大なる将として尊敬していたと言われています。

この会見では、先程のハンニバルの言葉に対して、「You caused me to be. = あなたがいたから今の自分はこうなってしまったんだ。あなたが作ったのではない。It’s not the same thing. = それは違う。」という意味です。文献が残っていないので、本当にそう言い合ったかはわからないですが、敵味方ながらの師弟関係の複雑な心境をうまく言い表していますね。

どこが好き?

スキピオを選ぶのはその若さと柔軟さです。

スキピオは第二次ポエニ戦争初期、父プブリウス・コルネリウス・スキピオに従軍しハンニバルとの戦いに何度と現場で遭遇しそして、ハンニバルの神業とも言える用兵術によりローマの敗戦に繋がるさまを見てきました。ローマからすれば憎き敵ですが、赤き日のスキピオからすれば、「なんてすごい人!」だったことでしょう。

そのスキピオが徐々に師であるハンニバルから学んで最後は師をザマの戦いで打ち破る様は圧巻です。

スキピオについてはマンガ「アド・アストラ」のレビューでも紹介しています。

アド・アストラ - スキピオとハンニバル 『アド・アストラ ―スキピオとハンニバル』(漫画)は歴史好き・第二次ポエニ戦争を知るのにオススメの漫画

誰かのためというときに思い出す歴史上の偉人

大久保利通

大久保利通

時代:幕末〜明治初期(1830~1878) 国:日本

大久保利通がいなければ、おそらく日本はそのまま幕末の混乱から欧米列強の草刈場と化して植民地になっていたことでしょう。明治の日本を作り上げるために、盟友西郷隆盛を西南戦争で自害に追い込むなど、不人気でもありますが、極めて無私の精神で最後は、恨みを買い紀尾井坂の変で暗殺されます。

大久保利通の名言

「為政清明」

「政治を行うものは清らかでなければならない」という意味です。

名言というよりは座右の銘なのですが、無私の精神で日本の近代化の端緒を築いた大久保らしい言葉です。

どこが好き?

大久保を私が好きなのは、まさにこの無私の精神。

日本人はやっぱり幕末というと、坂本龍馬、新撰組、そして、西郷隆盛が好きですが私にとってはぶっちぎりで大久保利通です。あの幕末の混迷期に大久保なくして、日本の独立は成立しなかったと言えるでしょう。寡黙で、伊藤博文、他、薩摩藩同胞を圧倒する威厳を持ち、かつ冷静な理論家。

大久保が内務省に登庁しその靴音が廊下に響くと職員たちは私語を止め、それまでざわついていた庁舎内が水を打ったように静まり返ったといわれています。ハッキリ言って、いつの時代だって嫌われ者なんかになりたくないものです。政治家は、今の時代dすと、圧倒的人数の老人票を取るため、日本の将来の発展よりも、目先の票を取りに行くものです。

大久保が素晴らしいのはこうした小賢しさが一切ないこと。
政治家に必要な冷血があふれるほどあった人物です。

大久保については下記のエントリで紹介しています。

大久保利通 大久保利通半端ないって思う理由

樋口季一郎

樋口季一郎

時代:明治〜昭和(1888~1970) 国:日本

樋口季一郎といえば、3つの大きな役割を演じました。

一つめは、ユダヤ人の救助。そして、二つめはキスカ島の撤退戦。そして、三つめは占守島の戦いにおける徹底抗戦の判断。

この全てに共通しているのは、外部や上司からの圧力や要請に従わず自分の頭と自分の良心に基づいて判断をして実行に移したことでしょう。ユダヤ人保護については、同盟国であったドイツのリッベントロップ外相からの圧力にも屈せず、そして、キスカ島撤退戦では陸軍中央部の決済を待つことなく独断で撤収を行います。そして、最後の見せどころは戦後のソ連の進駐に対して、

「断固反撃して、ソ連軍を撃滅すべし」

と、徹底抗戦を実施。

スターリン率いるソ連が狙っていた北海道経由での日本本土占領の野望を打ち破ります。

兎にも角にも、樋口には自分自身の信念がしっかりしていて組織の論理よりも、自分の考えをしっかりと優先することが出来たことが素晴らしいと言えるでしょう。公務員、サラリーマンなど大組織にいても自分のプリンシパルがあれば、しっかりとやることをできるんだということを示唆しています。

樋口季一郎の名言

「ユダヤ人を追放する前に、彼らに土地を与えよ!安住の地を与えよ!そして、また祖国を与えるのだ!」

樋口がハルピン極東ユダヤ人大会の演説の際に言った言葉です。

この当時、日本はドイツと軍事同盟を結んでいました。ドイツはナチス政権でありユダヤ人を迫害していました。

このような中、樋口は「日本人はむかしから義を持って弱気を助ける気質である。」と軍事同盟とイデオロギーは別であるとばかりに、多くのユダヤ人を保護しました。当時、満州国の特務機関長であった樋口はハルピンユダヤ人協会の会長であるカウフマン博士の要請に基づきハルピン極東ユダヤ人大会の開催に協力しました。

大戦期の日本には文化的、戦略・戦術的にいただけないことが多々ありますが、こうした人が現場レベルでは数多くいたことは同じ日本人として誇りに思います。

どこが好き?

樋口自身しっかりと一人の心のある人であることが好きです。

多くの人間は、自身のポジションを守るため、そして、組織の方針だからということでいとも簡単に道を踏み誤ります。その理由は、自分の中に確固たるプリンシパル(根本理念)がないことと、自立していないからだといえるでしょう。大戦期のように、あらゆる国家が全体主義的になっている時代、民間の活力は失われ多くの人は国家の方針に振り回されます。そのような中でも、樋口のような人材がでてくるのは、彼の中に確固たる信念があったからでしょう。

樋口の話は別のエントリでまとめてますので是非お読みください。

樋口季一郎 信念の人 樋口季一郎 – 多くのユダヤ人を救い北海道をスターリンから守った男

浪花節になりたい時の歴史上の偉人

根本博

張家口の根本博

時代:明治〜昭和(1891~1966) 国:日本

意外と知られていないですが、根本博といえば蒋介石との友情。

支那派遣軍の司令官として、非常に優秀でありましたが戦後処理で恩がある蒋介石を助けるため、台湾に密航。中国名林保源として金門島における戦いを指揮し、毛沢東率いる中華人民共和国の台湾侵攻を防ぎます。

根本博の名言

「東亜の平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます」

蒋介石との会談の際に根本が伝えたと言われています。

蒋介石としては、中国大陸に駐留している日本軍がいち早く帰還してもらって、毛沢東との戦いに備えたかった時期です。おそらく社交辞令だったのでしょうが、根本は蒋介石の待遇に感極まりこの言葉を伝えています。そして、有限実行で、蒋介石が台湾においてピンチとなった時に馳せ参じます。

どこが好き?

根本博は私の大好きな古き良き日本人です。

素朴で、恩は忘れずにしっかりと返すというのも今ではなかなか見かけなくなりました。根本は異国人である蒋介石への恩義を返すため、密航してまで台湾に渡航して共産軍との最前線に向かいます。その友情は、蒋介石が根本に贈った花瓶に書かれた釣り人の絵にも描かれています。

根本の話は別のエントリでまとめてますので是非お読みください。

張家口の根本博 張家口の根本博 – 本当に大事なものを守るためには時に反逆者になる覚悟が必要であることを体現した男 根本博と蒋介石 金門島に立つ根本博 – 恩義ある蒋介石のために、そして台湾のためにすべてを捧げた後半生

まとめ

いかがでしたでしょうか?

私は古代地中海、中東、そして、中国史と日本史が好きなので結構場所に偏りがありますが同じような悩みを抱えている方や、勇気を出して行動を取りたい方には調べてみると面白い方々だと思います。

歴史上の人物から様々な行動のキッカケをもらうのは歴史好きの特権だけにしてはもったいないと思ってこのエントリを書いてみました。
お読みいただきありがとうございました!

大山俊輔