こんにちは、映画を年200本、小説・啓発本を中心にインプットをしておりますRA-SAITOと申します、宜しくお願い致します。
コロナ禍という事で家で過ごす時間が増えてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか?そんな中、ジョージ・オーウェル著『1984』という小説を手に取った方&読んでみたいなと思っている方いらっしゃると思います。
この小説ですが、「中田敦彦のYouTube大学」で昨年取り上げられ、話題になりました。
私自身大学生時代にイギリス文学を研究していたこともあり、馴染みのある作品でもあります。1949年に出版されたこの小説『1984』は、所謂”古典文学”と呼ばれるような名作ですが、今になって注目を浴びたのは何故なのでしょうか?
それはこの小説が未来に来るであろう政治・社会形態を批判するという形式を取っており、「あれ、この小説の内容って今の社会にも当てはまるな、、、」と気付きを与えてくれる作品であるからだと思います。
小説然り、偉人の言葉然り、その時代やタイミングによって「予言なんじゃないか?」と言われるものは多々ありますが、小説『1984』のような社会が少しずつ迫っているかもしれないと感じてしまいます。
この記事ではそんな小説『1984』を簡単に噛み砕き、本書の読みどころとジョージ・オーウェルの全体主義への批判・警鐘についてまとめていきます。
- 話題になっていた小説だし、読んでみたいな
- 読んでみたいけど、面白くなかったら嫌だし、あらすじだけでも読んでおきたいな
- 古典小説と言われると難しい言い回しが多そうで読む気が、、、
- 今の社会について『1984』を通して考えてみたい!
上記のような方々に読んで頂ければ、必ず何かのフックになってくれると思います!「これから読むよ」、という方にも読んで頂けるように物語の核心に迫るネタバレはしないように執筆しています。
私の考えや感想も踏まえて解説していきますので、どうぞ最後まで楽しんで読んで頂ければと思います。
目次
ジョージ・オーウェルについて
そもそも小説『1984』の著者ジョージ・オーウェルとはどのような人なのでしょうか?
簡単にご紹介していきます。
ジョージ・オーウェルは1903年生まれのイギリス人、小説『1984』は1949年に執筆されました。ちなみにタイトルの『1984』は物語の時代設定に由来します。
書かれた年から35年後の未来を描いた所謂”ディストピア小説”と呼ばれるものになります。書き始めた年数の下2桁を反転させてタイトルを付けるところにもオーウェルのユニークさが現れていますね。
オーウェルが書いた長編小説で有名な物といえば今回扱う『1984』と『動物農場』(1945)という作品があります。『動物農場』も独裁政治を揶揄した作品であり、20世期前半の全体主義を批判している作品です。
他にもエッセイや取材記事なども執筆しており、こちらも政治に関する記述も多いです。
小説『1984』のあらすじ
作風にも現れる通り、そもそもオーウェル自身が政治や20世期初期に台頭した全体主義や社会主義、独裁政治などに疑問を覚えていた人物であるという事なのでしょう。
実際に『1984』はソ連で発刊禁止になったという事実もあります。
そんなオーウェルが書いた『1984』。
ざっとしたあらすじをお話しますと、ウィンストンという中年の主人公が完全なる監視社会を形成している世界で静かな抗議を起こす物語。『1984』の世界では核戦争が勃発し、その後も紛争が続き絶えず戦時中のオセアニアが舞台になります。
指導者ビッグ・ブラザー
そこにはビッグ・ブラザーという指導者がいます。
ビッグ・ブラザーが率いる党には3つのスローガンがあり、それぞれ
・戦争は平和である
・自由は屈従である
・無知は力である
というスローガンです。なんとも不気味なスローガンですよね。
そして、ビッグ・ブラザーが支配するオセアニアでは市民のあらゆる言動が監視されているのです。
監視社会
テレスクリーンと呼ばれる監視カメラが家には必ず設置されており、町中にマイクが仕掛けられているためにプライベートと呼ばれるものは全くありません。
書物も廃棄されており、情報を残す際は筆記ではなく録音、もし反社会的な思想や言動が見つかれば党によって拷問による思想修正、それでも直らなかった場合は存在自体が消されてしまう。
オセアニアは、全てがビッグ・ブラザー率いる党に管理・検閲されている正に”監視社会”、”全体主義”を貫く国となってしまっています。
階級社会
そんな恐ろしい世界ですが、オセアニアに住んでいる一般市民はこれを全く疑問視しておらず、さも当たり前かのように生活しています。
党の言いなりにならない人々は貧しい階級のプロレと呼ばれている人々のみです。プロレ階級は党に反逆はしないものの、管轄下にない為、旧体制の生活をしています。
プロレ地区では、物を書く事も出来れば、家にテレスクリーンもありません。国民とも思われていない扱いを受けています。
そんな時代の中、ビッグ・ブラザーの率いる体制に疑問を抱いているウィンストンは、家で映らないようテレスクリーンに映らないよう日記を書いています。
その日記には党の方針についての批判や、その日のおかしいと思った出来事が綴られています。見つかれば直ちに処理される事間違いないそんな日記を何故ウィンストンは書くのでしょうか?
実はオセアニアにはウィンストンと同じように現体制に不満・批判的な考えを持っている人達が他にもいる可能性があるからでした。
エマニュエル・ゴールドスタイン
かつてビッグ・ブラザーと同じく党を率いていた指導者であるエマニュエル・ゴールドスタイン。
この人物は現在は指名手配中、何故ならビッグ・ブラザーと仲違いし、反体制勢力を募り地下組織を形成し逃亡していることになっているからです。ですが、足取りは掴めず、本当に実在しているかも定かではありません。
ウィンストンはゴールドスタインがいればいつかこの監視社会も終わりを告げるかもしれないと密かに希望を見出していました。
ある日、ウィンストンが党で働いていると、ジュリアという若い女性と出会います。この女性はウィンストンから見ても熱心な党員で毛嫌いしていた人物ですが、そんな女性からある事を言われます。
「あなたもそうなのね」と。
そうです、ウィンストンは党内に仲間を見つけました。
ウィンストンは監視社会に反旗を翻すことができるのでしょうか?
『1984』の全体主義への警告
あらすじを踏まえて『1984』の全体主義への警告について、私の感想も踏まえてご紹介致します。まず、皆さんどうですか?あらすじを読んで頂いてどう感じたでしょうか?
既にある監視社会
私の第一の感想は、「こんな監視社会絶対嫌だよ、、、」という感想でした。
考えていること全てが政府に筒抜けになる、むしろ全てがオープンになっているという社会では”考える”という概念すらないのかもしれませんね、、、
ですが、よく身の回りを考えてみてください。
今の私たちの社会もそれに近い未来になっていく可能性も感じ、読後悪寒がしました。
私が感じたその悪寒について大きく2つに分類出来ると思いますので、ご紹介したいと思います。
① ウィンストンとジュリアの反体制への考え方の違いと世代間確執
ウィンストンとジュリアはどちらも反体制への気持ちを持っていますが、実はこの2人には明確な違いがありました。それは今後のオセアニアの未来を考えているかどうかという違いです。
ビッグ・ブラザーが現体制を築いたのはウィンストンが子供の頃です。
もう歴史についても改ざんされている世界なので、実際にウィンストンが何歳の時にビッグ・ブラザーが政権を担ったかは分からなくなってしまっていますが、ウィンストンは旧体制についてはほぼ覚えていません。ジュリアに至っては生まれた時からビッグ・ブラザーが政権を担っていました。
そうなるとジュリアにとっては監視社会ではない、生活というのは全く想像が出来ません。ちなみにウィンストンは39歳、ジュリアは26歳の設定です。そんなジュリアが抱く、反体制の考え方は基本的に”自分が自由に生活したい”という考えのみです。
監視されずに人と思ったことを話したり、男女の関係を持ったり、自身がその時に楽しいと感じられるだけで良いと考えています。一方で、ウィンストンが考えている反体制の考え方は”今後のオセアニアに住む子供達の未来を明るくしたい”という考えに基づきます。
自分が子供の時に過ごしていたであろう自由な生活を未来に繋いでいきたいという考え方です。ですから、禁止されている筆記という方法で日記を付け、未来に繋いでいこうと思っているのだと、私は感じました。
これは私たちの世界にも大いに当てはまります。
老いた世代と若い世代には必ず違いがあります。
「近頃の若いもんは、、、」と言われたり、「老害」という言葉が生まれたり、確執は存在します。
これが行き着くところまでいってしまうと、ベースとなる考えが大きく異なり、同じ志を持つことというのは不可能になってしまうかもしれません。
世界、社会の未来を考えて行動出来る人と、今一瞬が快適であればそれで良いと考え行動する人、、、
既に世界中で見られている確執が『1984』を読んで浮き彫りになりました。
また、ウィンストンは”人の為に行動”することを美徳とします。
しかし、ジュリアの世代はそうではありません。
現にジュリアは自分が良ければそれだけでいいというような考えを随所でしており、ウィンストンと対立するパートもあります。
この作品では主要な人物がそう多くありません。
その為ウィンストンはウィンストン世代の反逆者のプロトタイプ(作中でウィンストン以外にウィンストン世代の反逆者が登場しないこともポイントだと思います)、ジュリアはジュリア世代の反逆者のプロトタイプとして読んで良いと思います。
監視社会という環境では、世代が進むと自己中心的で他者に干渉しないようになっていくのかもしれませんね。
今の私たちの時代はどうでしょうか?
ウィンストンは反体制の考えを持っていますが、表立って行動出来ない自分を不甲斐なく思い、「私は既に死んでいる」と表現しています。私たちは”死んでいるように生きて”いないでしょうか、、、
② 全体主義・監視社会・社会主義への批判
この作品を読んでまず第一に感じることはこの全体主義・監視社会・社会主義への批判が物語を通して暗喩的に表現されているということだと思います。
実際にこれらの批判について言及した研究も多々あります。
オーウェルは1936年にスペインに赴いた際に革命運動に共感を受け、兵士として戦争に参加しています。
自身のエッセイの中でも「1936年以降に書いた自身の作品は全て全体主義を批判し、民主主義を擁護するもの」だと記しています。
執筆された時代を考慮すると『1984』のオセアニアはソ連のオマージュに当たるでしょう。
しかし、今後このような全体主義・監視主義・社会主義が台頭しないとは限りません。
現に国単位ではなく、グループ単位では既に成り立ってしまっている部分もあると思います。
『1984』を読めば、読者の所属しているグループ、例えば家族や職場、学校などで同じ状況があるなと感じる場面が必ずあると思います。
それを感じる度に自分がウィンストンなのか、ジュリアなのか考えることになると思います、、、1つ例にとってあげると、現体制に対して不満や不信感(物語の中では思想犯罪と呼ばれます)を抱いた人は拷問を受け、思想の矯正をさせられます。
フィリップ・K・ディック原作・スタンリー・キューブリック監督の映画『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスを想像して頂けると分かりやすいかと思いますが、ここまで顕著なものはなくてもこれは私たちの世界にも存在してきましたし、歴史も物語っています。
学校でいたずらに悪いことをした際に受けた体罰や、会社で不満を持ち抗議した際に受けた圧力など日常の社会に還元して考えることも出来ます。
自身の生活や環境に当てはめれば当てはめるほど考えさせられるそんな小説になっているのが『1984』なのではないでしょうか。
まとめ
いかがだったでしょうか。
簡単にですが、『1984』のあらすじと感想から雰囲気を味わって頂けたかと思います。
ディストピア小説、作品は多く存在しますがその走りといっても過言ではない『1984』。
ラストはこの作品でしか味わえないようなあっと驚く結末も待っています。
しかし、この結末であるからこそ、オーウェルは私達や未来に”全体主義への警告”をもたらしてくれたと感じます。
ウィンストンが日記を残したように、オーウェルは私達に『1984』を残してくれました。是非、この作品を読んでラストの展開について考察してみてください!
最後まで読んでいただきまして有難う御座いました。
RA-SAITO