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日清戦争についての時代背景から、戦況まで徹底解説!

日清戦争についての時代背景から、戦況まで徹底解説!

明治の代表的な戦争として名高い、日清戦争。

この日清戦争のおかげで、「極東の日本という国は、もしかしてすごい力を持っているのでは?」と、欧米から思われるようになります。また、日清戦争を基に、日本も「領土」というものを視野に入れ、戦争などを他の国に仕掛けていくようになります。

フリスクン

 小学生から日本の歴史が大好き。中学、高校では、日本史につまずいている友人に教えると、分かりやすいと友人間で評判に。実はこう見えて現在、大学生。大学では、歴史に基づいたビジネスを考えています。

私は、歴史好きで、この戦争について多方面から調べ、より学んでいきました。公文書などを踏まえると、さらなる気付きがあります。

今回は、日清戦争について時代背景から、戦況まで徹底解説します!

日清戦争を徹底解説!

戦いの場所は?

戦いの場所は、今の大韓民国に位置する場所から、一番最初に開戦しました。そこから、清、中国に場所が移され、最後には、台湾にまで及びます。

戦いの背景

1875(明治8)年、日本と朝鮮で起こった武力衝突事件、江華島事件。
それをキッカケに、翌年の1876年に江華島条約(日朝 修好江華条約)が締結され、65年ぶりに日朝修好が復活します。

この条約は、朝鮮の独立を確認し両国の友好を約したものです。これはすなわち、清の主同権を否認したものであり、ここに日清戦争の直接的な原因が芽生えます。 その後、1894(明治27)年に朝鮮で起こった農民反乱、甲午農民戦争は、 李王朝への反発から日本や欧米の侵入に対する反対へと発展していきます。朝鮮政府は、鎮圧のため、清に救援を求めます。清から出兵の通告を受けた日本政府は、直ちに出兵し、清に共同して朝鮮の内乱を鎮圧し、内政改革をすすめさせようと申し入れますが、清はこれを拒否。

日本軍は朝鮮王宮を占領し、朝鮮政府に清軍を撤退させるよう求めます。

こうして、日本軍による清艦隊への奇襲攻撃(豊島沖海戦)、成歓・牙山の戦闘が行われ、日清両国は戦争状態に入り、両国とも宣戦布告して日清戦争が始まります。

戦いの流れ

今回は、戦いの流れを、わかりやすく3つに分けました。

・平壌の戦闘
1894年、平壌(今の大韓民国)に強力な清軍が集結したことにより、朝鮮政府内にこれを恐れる空気が強くなります。

このため、日本軍は速やかに平壌の清軍を撃破する必要があると考え、平壌に到着とともに断然攻撃することに決めます。

攻め込む日の早朝から、各日本部隊は一斉に攻撃を開始し、清軍は白旗を掲げ、かつその大部分は風雨に紛れて北方に撤退します。

日本軍は、平壌を占領することに成功します。日本軍の損害は死傷者約670名、清軍の損害は戦死約2000名、捕虜約600名でした。

・.黄海の海戦
日本艦隊は、直隷に陸軍部隊を上陸させるため、速やかに清国艦隊を撃破して渤海湾の制海権を確保する必要がありました。

その時、日清両艦隊は互いに敵影を確認。数時間後、から開戦が始まります。

戦闘は日没まで続き、日本軍の勝利に終わりました。
清国艦隊は大打撃を受け、 黄海の制海権は日本軍の手中に落ちます。

・威海衛の攻略
日本軍は直隷平野の決戦に先立って威海衛を攻略して北洋水師を撃滅することに決定します。

戦闘序列の変更が下令され、威海衛軍港を占領するよう訓令を受けます。

夜の明け方、日本軍は攻撃を開始します。清軍の丁汝昌は、日本軍に勝てず、自決をし、翌、残将をして降伏させた。日清戦争は、日本軍の勝利に終わります。

日清戦争のその後

日本は?

1895年3月20日から、山口県の下関において清国全権大使、李鴻章(り こうしょう)と日本全権大使伊藤博文との間で開始され、3月30日休戦条約、4月17日講和条約が調印されます。
しかし、その前、日本人青年の小村豊太郎によって、李鴻章氏が狙撃されます。それにより重症を追ったため、下関条約の締結にも影響を与えることになります。

その内容が、

1. 清国は朝鮮の独立を確認する。
朝鮮をなんとしても手に入れたかった日本。ここで、朝鮮の独立を清に約束させます。

2. 遼東半島・台湾・澎湖半島を割譲する。
遼東半島、台湾、そして澎湖半島を割譲することによって、さらに自分の領地を広げます。

3. 賠償金2億両(テール)を支払う。
今回の戦争で、大量の軍事費を投入した日本と清。そこで、賠償金2億両を支払うよう命じます。この値段は、日本円だと、3億6000万円。当時の日本の国家予算4年分に相当するものです。ここまで資金が入った日本。産業革命がココから起こったと言われています。

4. 重要な港湾市街を開市する。
清の重要な港湾市街である、北京、沙市、湘潭、重慶、梧州、蘇州、杭州を日本の住居営業のために開くというものです。

5. 条約履行の担保として日本は威海衛を占領し、清国はその費用を負担する。
というものでした。

その他にも、関税自主権の撤廃や、手数料、製造業などにも手を出していきます。

その他の国は?

ところが、講和条約の調印がすんだ後の4月23日、ロシア、ドイツ、フランスの3国は、日本に遼東半島を清国に返還するように強く勧告してきます。

これを、三国干渉といいます。日本は、イギリスが中立宣言をするなどの国際情勢と国力を考慮して、勧告を受けいれざるをえないと判断し、日本は遼東半島の放棄を閣議決定します。

一方アメリカは、この動きをじっと見て、まだ動こうとしていません。しかし、日清戦争では、日本を支持しました。これからどう動いていくのでしょうか。

日露戦争へ

日清戦争がおわり、下関条約が結ばれたのが、1895年。その9年後の1904年、日露戦争が勃発します。

ロシアは、清で起きた義和団事件(義和団が生活に苦しむ農民を集めて起こした外国の勢力を排除しようとした事件)を鎮圧するために満州に軍を派遣し、満州全土を占領します。

年中漁ができる港、不凍港が欲しいロシアは、なんとしても遼東半島を手に入れたかったのです。

これに納得の行かない日本。日清戦争で得た遼東半島を、奪われたようなものです。
イギリスは、清での利権確保のために、日本の軍事力を利用したがっていました。

そこで、イギリスと日本が同盟を組み、義和団を鎮圧するとともに、ロシアとも戦争を始めます。

まとめ

日清戦争は、この後、日露戦争を起こすキッカケにもなった戦争です。また、日本も列強の国の一員として見直され、これから先に利用されていくことになります。

日米和親条約で結んだ、関税自主権がないこと、治外法権が適用されてしまっていることを、なんとしても手放したい日本。ここからどう動いていくのか。明治の世の中が大きく変動していきます。

フリスクン