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カエサル – クレオパトラとの関係、名言に至るまで波乱の生涯を徹底解説!

カエサル - その波乱の生涯を徹底解説!

紀元前100年から、44年を生きた、ローマ共和政の将軍、カエサル。紀元前60年には、ポンペイウス、クラッススとともに三頭政治を行います。彼の本名は、ガイウス=ユリウス=カエサル。一体どのような生涯を経て、どのような偉業を成し遂げたのでしょうか。

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 小学生から日本の歴史が大好き。中学、高校では、日本史につまずいている友人に教えると、分かりやすいと友人間で評判に。実はこう見えて現在、大学生。大学では、歴史に基づいたビジネスを考えています。

この記事では、ローマの転換点となる男。カエサルの人生、残した名言、クレオパトラとの関係に至るまで徹底解説していきます。

カエサルの生涯を徹底解説!

若い時代のカエサル

名門ではあるが貧乏な貴族(パトリキ)の家に生まれたカエサル。

生年には前100年と前102年の2説があると言われています。決して男前と呼べるような顔立ちではなかったようですが、女性には人気があったと言われています。

カエサルの青年期

カエサルが18歳の時、ローマの政治は荒れに荒れていました。民衆派の将軍、マリウスの甥に当たるカエサルは、貴族派のスッラとの争いに巻き込まれぬように亡命をします。

スッラの亡き後、ローマに帰ったカエサルは、民衆を引きつける身振りや、話術を活かし、搾取や脅迫などの不正を働く属州総督を次々と告発し一躍有名人になり、そのまま軍団司令官へと選出されます。

第三次奴隷戦争から、第一次三頭政治までの流れは?

第3次奴隷戦争でクラップスとポンぺイウスが名を挙げるも、同時期にカエサルが何か功績を上げたという記録はなく、アレクサンドロス大王の像を目の前にして、「アレクサンドロスの年齢(32歳)に達したのにもかかわらず、何も成し得ていない」と自らの心境を吐露し偉業達成の野望を抱きつつ元老院の議席を手に入れます。

そしてスッラの孫と結婚したカエサルは、その財産を買収や陰謀に使いさらなる大金を手に入れ、中東を平定。ローマに凱旋すると元軍団総司令官ポンペイウスと経済界の重鎮クラックスの仲裁を相談し、利害を一致する協力関係を築き上げ、執政官の座に上り詰めることに成功します。ここに元老院に対抗しうる勢力である三頭政治が成立するのです。

そして、三頭政治は手始めに元老院で行われる議会を公開することを定めると発言を尻込みする議員も傍目にグラックス兄弟以来タブーであった農地法に着手します。そして、すべての元老院議員に農地法の尊重を制約させることに成功するのです。

ガリアへの進軍から、三頭政治の崩壊、ローマでの内乱の中心にいたカエサル

執政官の任期を全うしたカエサルは元老院より軍事指揮権を与えられ、現在のフランスに位置するガリアへの出陣をはじめます。

2年ほど快進撃を続けると、3人のリーダーがルッカで会談を設け、ポンペイウスとクラックスが執政官に就任。カエサルのガリア総督としての任期を5年延長すると、ポンペイウスはエジプトの政権争いを利用し、事実上の属国的存在として占領。そしてシリア属州総督となったクラックスは、パルティア領への進軍を開始します。

ローマの領土拡大が順調に行われていたと思いきや、パルティアとの交渉に赴いたクラックスが捕まってしまいます。そして、溶かした金を口に注がれて殺されてしまうのです。三頭政治は事実上崩壊。このチャンスを逃すまいと、立ち上がった元老院は起死回生の一手として、ポンペイウスの調略に繰り出します。元老院は重鎮の娘コルネリアをポンペイウスへ嫁がせ、彼を元老院ヘ寝返らせると、異例となる単独での執政官に任命します。一方カエサルは、8年にも及ぶガリア戦争によって莫大な財産と権威を突き上げ忠義にあふれる屈強な紙幣軍団を形成していました。

そんなカエサルも執政官に立候補します。これを妨害するため、元老院派は、「国外からは執政官に立候補できない」というルールを制定します。さらに、共和政を守るため、「カエサルが持っているローマ兵を解散しろ」という承諾できるはずのない条件を突きつけます。追い詰められたカエサル。戦争に踏み切るしかないと決断をします。

そこで、少数精鋭の部隊を率いて、こう言ったと言われています。「個々を渡れば人間世界の破滅、渡らなければ私達の破滅。神々や我々を侮辱した敵の待つところへ進もう。賽は投げられた。」と檄を飛ばします。そして、ルビコン川を越えたことをきっかけに、ホンペイウスを含む元老院派との内戦に突入するのです。ホンペイウスと元老院議員は、ローマを捨てて、勢力基盤であった、ギリシアへ逃げ込み、軍備を整えます。がら空きになったローマ。その支配権をゲットしたカエサルは、ヒスパニアやマルセイユなど後方の憂いとなる元老院派を一掃しギリシアヘの進軍を開始します。

しかし、ここで騎兵と海兵で勝るポンペイウスが、カエサル軍を返り討ちにします。

カエサル自身の命を危険にさらす程、潰走させます。しかしここでホンペイウスは、「待て、あわてるな。これはカエサルの罠だ」と追撃を辞めてしまうのです。一世一代の大チャンスを棒に振ってしまったホンペイウス。ポンペイウス自身は食料と資金不足で崩壊しそうなカエサル軍が自滅するのを狙っていましたがカエサルにとどめを刺せとの声が多く、経験豊富な2万のカエサル軍に5万の軍勢を率いて決戦に挑んだ結果、大敗。

ポンペウイスは体制を整えるためにエジプトに逃げ込みましたが、プトレマイオス13世に裏切られ、殺されてしまいます。追撃すべく、エジプトに上陸したカエサルが彼の死を知るとクレオパトラとプトレマイオスの王家の争いに関わることになります。

クレオパトラは、プトレマイオス朝の慣例に則り、弟のプトレマイオス13世と姉弟婚を行い、共同で王位に就くと、強大なローマとの同盟がエジプトの存続唯一の道であると考え、元老院派を支持します。ホンペイウスの亡き今、クレオパトラの立場が危ぶまれましたが、その一方で窮地に陥ったホンペイウスはクレオパトラが思いついた秘策として、カエサルの愛人になることでした。自分を絨毯にくるませることで敵対していたカエサルに近づいたクレオパトラは、愛人となることでカエサルに取り入ると、プトレマイオス13世と無事和解したかのように思ったその15日後、このクレオパトラの立ち振舞いにしびれを切らしたプトレマイオス13世が、カエサルを攻撃したためプトレマイオス13世はナイル川で溺死させられます。

そして、クレオパトラは14世と共同でファラオの座につきます。

カエサルが独裁政治?その後どのように亡くなった?

エジプトを傀儡政権として支配したカエサルは、クレオパトラとの間に、息子のカエサリオンを授かると紀元前46年に独裁官としてローマで凱旋式を挙行。ホンペイウスの子供も処刑し、ローマの支配権を確固たるものにします。

そして、政策として属州民に元老院の議席を与え、機能・権威を低下させたり、民会を単なる承認機関とすることで、有名無実化をしたり、自信に権力を集中する仕組みを作り上げます。そして、終身独裁官へと就任し、独裁政権を築きます。この独裁政治に危機感を覚えた共和政主義者。元老院の議会の直前にカエサルを襲撃します。そして、56歳でその生涯に幕を閉じることになります。

ローマの世界をお金で掴んだ男、カエサル

ここまでで、カエサルがどういう生涯を歩み、ローマを手に入れたのかということを解説していきました。

次に見ていくのは、そんなカエサルのお金にまつわる、有名なエピソードです。お金を積むことによって、ローマを手に入れたと言っても過言ではないカエサル。その巧みな話術などは、眼を見張るものがあります。それではエピソードを見ていきましょう。

身代金を自ら上げる?

若き日のカエサル。その当時は、ローマの地中海覇権が伸長する一方で、当方諸国の勢力は下火になっており、結果として東方には、海賊が多くいる無法地帯と化していました。

そこでカエサルは、ファルマクッサ島と呼ばれる、現在の南トルコの海域で、海賊船に捕まってしまいます。そこで、カエサルの開放と引き換えに、今で言うところの約6億円から12億円にも相当する金額を支払うように要求します。しかしカエサルは、「自分はそんな価値のない人間ではない」と、言い放ち、倍以上の30億円から60億円もの金額に釣り上げたのです。他の貴族とそう変わらない金額ならば、一人ぐらい殺しても構わない。

次の貴族をさらってくればいいだけの話である。代わりはいるのだ。そんなことを海賊は考えていました。カエサルは、自らの命の重みを倍額にすることで誘拐者にとって、代わりのいない貴重な存在に自らなったのです。しかも、集められるであろう現実的な額を読みきってこの金額の値上げをしたとされています。カエサルは、部下を身代金の金策に走らせている間、海賊たちと彼らの根城で「楽しく」過ごしていました。海賊たちと寝食を共にし、運動や鍛錬で海賊たちと汗を流します。カエサルは自分の作った詩や文を海賊たちに向かって読み上げたりもし、到底、人質の生活とは思えない暮らしぶり。しかし、相手が60億円相当の価値ともなれば、海賊たちも大人しく従うしかなかったのです。

海賊たちはまるで、カエサルの護衛のようでした。さて、問題の身代金は、名ばかりで財産のない亡命中の「旧名門貴族」の若者、カエサルに金は集まるのでしょうか。これも、この金額だからこそ、良かったのです。海賊たちが60億円もの金額を提示してくるローマの名門貴族の若者とは相当な人物に違いないと勘違いをします。カエサルが、大物だと思ったのです。ローマとの有益なコネになりそうだと考えた属州諸都市から、続々とお金は集まり、カエサルは解放されることとなります。カエサルはこの時、海賊に身ぐるみ剥がされた一文無しの、公職から追放されたローマ人に過ぎませんでした。

普通は、「命が助かっただけでもよかった」と泣き寝入りをするところですが、カエサルは我々の想像を超えた手に打って出ます。解放されたカエサルは、自分に一番多額の身代金を用意してくれたミレトス市に赴き、人々を説得して多数の軍船と乗組員をかき集めます。

準備が整うとすぐさま38日間海賊と過ごしたフォルマクッサへ直行して海賊たちを急襲。不意をつかれた海賊は一瞬で壊滅しました。

戦利品として海賊の略奪品の財宝や金を獲得し、その中から身代金を返済したのでした。自分の価値を程よい金額まで高めることによって、人質から開放されたのです。

カエサルは借金で名を挙げた!?

当時ローマ市民の一番人気は、オリエント征服の武勲をあげた名将の誉れ高きポンペイウスでした。
カエサルは、「それなり」に民衆からの人気はあったものの英雄ポンペイウスには比べ物にもなりません。

しかもカエサルには、まだ何も実績がありませんでした。幾ら借金で公共事業を行おうとも、それは実績には数えられません。カエサルは現況から頭ひとつ抜ける必要がありました。

そこで彼は、また借金を使うのです。
カエサルは膨大な借金の依頼を、ある人物のところへ持っていきます。

それが、富豪、マルクス・リキニウス・クラッスス。

後にポンペイウス、クラッスス、カエサルとでローマの三頭政治(トリウンヴィラートス)の一角を担う人物です。このクラッススは、ローマの国家予算の半分の財産を私有していた大資産家であり、ローマ財界のトップに君臨する男でした。ローマ財界の王・クラッススはカエサルの提案を受け入れ、彼に莫大な金を貸しました。クラッススはカエサルの最大債権者となり、また彼の借金の保証人にもなったのです。

カエサルには潰れて貰っては困るとクラッススもまた他の債権者と同じことを考えます。
一方、カエサルはクラッススを最大債権者にすることで、ローマ財界を味方にすることに成功します。

こうしてカエサルが仲立ちとなって、不仲であったクラッススとポンペイウスを和解させ、総力をあげてローマの内政改革を斡旋することに成功します。これが三頭政治といわれるものなのです。そしてカエサル自らも三頭の一角に座ることに成功したのです。

カエサルにとっての借金とは、金自体が目的ではなく、金という万人が大事にせざるを得ないものを通してのコミュニケーションツールでした。
事実、カエサルが最高位の終身独裁官に就任する頃には属州での蓄財で借金は全て返済しています。位人臣を極めたカエサルには、もはや借金は必要ありませんでした。
カエサルが借金を完済していなければ、カエサルは暗殺されなかったかもしれません。

借金で始まり、借金で終える。カエサルは、そんな人生を歩んだのです。

まとめ

ただの平民派としての貴族だったカエサルは、その才能と誰もが信用できるような話術で、人をひきつけ、ローマの独裁者にまで成り上がります。これは、紛れもなく偉業と言えるのではないでしょうか。

このカエサルのやり方は、今の起業家の精神に似ているところがあります。いかに自分のこと、サービス、製品を信用してもらい投資家に投資してもらうかと言うのは、サービスのちからもそうですが、もちろん起業家自身の話術も大切になってきます。一代権力を築き上げるまでに、カエサルは成り上がったのです。

フリスクン