大山俊輔です。今月も今日で最終日。
東日本大震災の発生から早くも5ヵ月が経過しようとしている。私はオフィスが渋谷なので自宅の広尾からよく歩いてオフィスに向かいますが、まずは、國學院大學手前の氷川神社でお参り。
氷川神社は渋谷最古の神社で、江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡もあったり歩いていてとても気持ちがいい。
氷川神社を抜けると、実践女子大学のキャンパスが。小さな通りを抜けると今度は、金王八幡宮が見えてくる。この神社は、源頼朝に仕えた渋谷金王丸が起源。また、社殿は徳川家光が三代将軍に決定したお礼として乳母の春日局と教育役の青山伯耆守忠俊が奉納したというもの。
氷川神社、金王八幡宮で自分は以下のことをお祈りしてから会社に向かうようにしている。
今まで無事大過なく過ごせたことのお礼(今まで何度か本当にヤバかったですが^^)
両家両親への感謝と長く一緒に苦楽を共に出来ることを祈願
事業を起こしてから苦労ばかりかけている妻への感謝とそろそろ楽させてあげられますようにという祈願
自分に対して甘いことに対する反省と、更に自分自身の知能を啓発・德器を成就できること
事業を通じて広く世のため社会の為に仕事に励む事の祈願
社員・顧客の健康
最後に会社の今期の事業計画を暗唱し成就祈願
そして、金王八幡宮を抜けて、すぐに渋谷の駅を抜けてマークシティ経由でオフィスに向かう。
広尾から金王八幡宮までは、何か歴史的なものというのか昔からずっと引きずっている何かを感じながら歩いている一方、渋谷駅についた瞬間に時々、何か悲しさというか虚しさを覚えてしまうことがある。
別に自分は、渋谷の駅前が嫌いなわけではなくいい年したオッサンだが109でアメカジの服を買うこともある。どちらかというと、息苦しさを特に顕著に感じるようになったのは、震災発生からわずか1ヵ月。何事もなかったかのように人々が普通に戻ってしまったあたりから、渋谷に限らず人が多すぎるところをなんとなく避けるようになってしまった。
今囘の大震災では死者行方不明者を入れると2万人以上の方が犠牲になられた。震災の瞬間あれだけ、頑張れ日本、と言って騒いでいた人も含めどこにいったのだろう?
今囘のエントリはこれが目的ではないので、また、別の機会にでも自分の考えをまとめようと思う。
今月、自分の中で悩んでいることは会社としての規範。
よく言うのは、ミッションだとかバリューといったものだろう。でも、今はドラッカーだったりスティーヴンコヴィーといった難しい話ではなく、もっと、原理原則的に守ってほしい価値観みたいなもの。
というのも、今月も間もなく終わるが7月はうちの会社にとっては、震災後の慢心が少し出てしまった月だと言えるだろう。あの時の緊張感、そして、一体感が漠然であるが少し薄れて来た感じが先月末からあったがそれが具体的になったが今月だ。
悪くはないが良くもない、何か、薄気味悪い消化不良感が出た1ヵ月だった。
でも、それも幸いと見るべきかもしれない。
早めに気づき手を打てば逆に良き踊り場とすることも出来るだろう。
もちろん、その慢心の元凶は自分だろう。
自分自身、どこかで大変だった時のことを忘れて、もう何か大丈夫。そんな気持ちが出てしまっていたし、自分の行動や発言の中にもあった気がする。
だからこそ、いずれ社内でもとは思うが、まずは、自分自身にとっての行動規範を振り返ることにしてみた。
党の綱領がないというどっかの政党は別として(笑)、幸い、自分達はまだ社員全員と毎日1回は会話が出来る規模だし、自分が何を価値観として大事にしていて何をしたら怒るかは、社員も分かってくれている(と信じたい)。
そんなときに、自分の行動規範を考えると偶然かもしれないが2つのを自分の手帳に貼り付けていることを思い出した。
1つは米国の建国の父の一人、ベンジャミン・フランクリンの13徳(13の徳目)。
もう一つはかつての大日本帝国時代に戻ってしまうが、教育勅語。
この2つは宗教、時代も違うものであるにも関わらず面白いほど多くが重なる。結局、人間というのは欲望の生き物だからその欲望を時には抑え、また、時には正しい方向に導く為にはこういった道徳的なガイドラインが必要なのだろう。
ちなみに、それぞれを記載してみるとこうなる。
<フランクリンの13徳目>
第1 節制 飽くほどに食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
第2 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁をろうするなかれ。
第3 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
第4 決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
第5 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
第6 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
第7 誠実 詐(いつわり)を用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし。
第8 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
第9 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
第10 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
第11 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
第12 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
第13 謙譲 イエスおよびソクラテス[7]に見習うべし。」
<教育勅語>
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風を顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名 御璽
孝 行 = 親に孝養をつくしましょう
友 愛 = 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ノ和 = 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ノ信 = 友だちはお互いに信じあってつき合いましょう
謙 遜 = 自分の言動をつつしみましょう
博 愛 = 広く全ての人に愛の手をさしのべましょ
修学習業 = 勉学に励み職業を身につけましょう
智能啓発 = 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就 = 人格の向上につとめましょう
公益世務 = 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵 法 = 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義 勇 = 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
フランクリンも教育勅語も驚くぐらいに重なる。
強いて言えば、フランクリンの方が少し具体的な行動論に落とし込んでいる点。そして、教育勅語はより抽象概念的であることと、もう少し国家観を感じる内容であることであろうか。
どちらも、誰でもよく分かり実践できるようににシンプルであることは言うまでもない。
私は両方共手帳に貼り付けて少し自分を振り返るときにはこれを見て反省してまたがんばろう、と思うようにしているが、確かに、この2ヵ月くらいは振り返って読みなおす機会を忘れていた。いずれ、うちの会社にも同じようなシンプルで誰でも実践できるような規範を作ることが必要だなと思う。
また、自己反省としては、渋谷を歩く大勢の人と一緒で自分の中にも、既に震災で亡くなられたり今も苦労されている人達に対する気持ちが少しずつ退潮していることは自分の心を振り返ると明快だし、皮肉ではあるがそんな日本人だからこそ、消費がすみやかに回復し当社も震災のダメージが低かったという事実もある。
日本人は先の大戦で200万人以上の軍人と100万人近い一般国民が亡くなられた。
その尊い犠牲の上に今の繁栄があることを忘れ始めた昭和末期くらいから日本人は慢心し、そしてバブル崩壊を迎えた。慢心してからの日本人は、かつての日本人が誇りとしていた歴史だったりこの国土のことを忘れ、金以外に頼れるものがなくなっていたから、いざ景気が悪化すると、拠り所がないから卑下するしか出来なくなってしまう。
ま、それはアメリカも一緒かもしれない。
やはり、昔のアメリカの資本主義にはウェーバー的な良きプロテスタンティズムを感じさせるものがあったが、日米違わず、何でも自分が第一という風潮になってから何かおかしくなった。
偉そうに社会を論ずる以前に自分も正直、振り返ると恥ずかしいことばかり。
明日からは8月。これを機に、もう一回、自分を見つめ直そう。
大山俊輔
PS:
このブログは自分が思ったこと書いてるだけなので、自分の事業とは別に思ったことを主義主張などの妥協なく書いてしまっている。
だからこそ、書いてしまうけど今囘のエントリと関連して下記の動画はぜひ見て欲しい。
かつて、帝国軍人として戦われた台湾のご老人が教育勅語を立派に諳んじるシーンは見てて涙が出てくる。実は、NHKはここに出てくる同じご老人の発言を曲解し、捏造報道を行い日本・台湾双方から抗議を受けたそうだ。今、高岡蒼甫発言でメディアの偏向にやっと、日本人が気づきつつあるが事実上の国営と思われていたNHKですらこの調子。
このご老人のほうが古き良き日本人のルーツを感じてしまう。うちは、祖母が台湾で生まれたこともあり、台湾に対して感情もひとしおだが、私もこのご老人たちが元気なうちにいつか龍安寺に行ってみたい。