大山俊輔ブログ ー 脳科学による習慣ハック・歴史・経済のサイト

子孫に借金を残すな論について ~ コンクリートから人への欺瞞と偽善

コンクリートから人へ

大山俊輔です。前回のエントリからかなり時間が経過した。
当社は4月決算の会社。今年は、新規事業を始める予定だったこともあり1ヶ月で確定申告を行った。

幸い、震災からの1年間で事業も落ち着き決算の数値としては数年前の苦労がやっと報われるだけの数字を出すことが出来た。それも、その前の年の3月が東日本大震災だったことを思うと、社員一丸で頑張った甲斐があった。

また、開校から5年近く経過した銀座校の改装を行った。
開校した時の投資に比べて投資額は微々たるものであるが、決算前後というのはものいりな時期でもある。

特に、消費税の納税は決算申告が終わり新しい決算期の始まりとともにやってくる。
これから投資を行おう、と思った時にバッサリと取られてしまう消費税は、税制としての問題もそうだがやはり企業の投資意欲を割いてしまうものだ。

丁度その頃から国会でも「税と社会保障の一体改革」と銘打って、マクロ経済的には単なる経済破壊行為でしかないことが、多くの時間を割いて議論され一応の三党合意という形で進んでいった。

以前、消費税については昨年、自分の考えを述べたので細かなところは省略するが、この際に国会からマスコミまで、この方針を正当化するために常に使ってきた言葉が「子孫に借金を残すな」という言葉。

子孫に借金を残さないためにも、今の世代で借金を返すために増税しないといけない、という議論がテレビや新聞を通じて一斉に報道されたが果たして、本当だろうか?一見、聞こえがいいからこの言葉を酔いしれて使っている評論家や政治家を見ると私は、逆にその無責任さに吐き気がしてしまったりする。

そもそも、経済がデフレーション(デフレ)にある時に、GDPの6割を占める消費に対して課税することは、国民所得に対して著しいマイナス効果があり、増税による税収減になる可能性が高いことは、過去のアメリカの大恐慌時のフーバー政権、また、97年の消費税増税を断行した橋本龍太郎内閣の失敗を見れば分かることである。アメリカの大恐慌はデフレであったわけだが、この時の消費税導入によりGDPは実に50%近く下がった。翌年の平均給与が突然半分になる社会を想像できるだろうか?そこまで行かなかったとしても、日本は、2000年台中盤のいっときを除き、増税を行なって税収減に陥っているのだ。

一方で、あえて「税と社会保障」を一体で議論することの目的は何だろう?

これは、高齢化社会の進展において社会保障負担が毎年1兆円近く増えてきているから、現行の社会保障制度では支払いが難しくなるということから、社会保険による徴収に加えて実質的に税金で補填することが目的なのだろう。

しかし、日本は人口のコブである団塊世代が生産年齢から外れていくと、下の世代は自分を含めた団塊ジュニア世代を除くと、人口ははるかに少ないわけだ。

仮にこの短期的なコブの社会保障を充実させるために、今、働いている現役世代から税として徴収し、ばら撒くことは、果たして正しいのだろうか。

言い方を変えると、子孫に借金を残すなということをキャッチフレーズにして増税に邁進することは、今、生産に携わりこれから次の世代を残していく世代が更に消費を少なくしそして守りに入ることになる。

果たしてそれが、彼らの言う「子孫に借金を残すな」という言葉に繋がるのだろうか?

実際、世代間論争を持ち出したくないが下記の年代別の貯蓄額を見ていると、現在の生産年齢にあたる20代から40代の貯蓄が如何に少ないことか。一方で、年金世代の貯蓄が多いかが分かることだろう。

あまり感情論や世代間論争を煽りたくないので、経済学的に書いてみよう。

果たして、貯蓄が少ない生産年齢から税を収奪し、それを年金世代に充当することが果たして国の経済を成長させ財政の問題を解決することが出来るのだろうか?そして、「子孫に借金を残すな」の言葉通り、次の世代のためなのだろうか?

これはどう考えても「否」だろう。

本来、生産年齢に属する人間はこれから結婚をし、家や車を購入しそして次の世代を産み育てる世代だ。
従って、所得があれば一番、消費・投資意欲が旺盛な世代であり、本来、この世代が元気でないと国民経済は成長しない。ところが、この世代の所得を更に削ることは、消費と投資を減らし(あるいは行わない)で、それでも、将来に対する不安を生み出すことになることで次の世代を育てることにすらリスクを感じさせてしまうようになる。

結果どうなるのだろう?

子供は生まれない。投資も行われない。消費も行われない。

これが何に繋がるかというと、デフレーションの悪化と少子化の進行だ。

デフレーションとはインフレーションの逆の減少である。
つまり、貨幣の価値は高くなる。

その分、今資金を持っている世代には利益はあるが、将来の世代はこれから資金を稼ごうにも、企業も物価の下落する時は極力投資は行わず、現金を蓄えるため成長しない。

その結果、割りを食うのはそれこそ「子孫」なのである。

同じことが、私の会社の事業でも当てはまるので、はじめの話から演繹してみたいと思う。

当社も、所謂投資活動を行なったのは4年ぶりである。
会社を作って借金や投資家からの資金調達により、まだまだ、向こう見ずであった自分だからそれでも3つの校舎に対して投資を行えたのだろう。

ところが、リーマン・ショック後の世界は一転し、日本はおろか、世界中がデフレーションの波に飲まれた。

当然、不要不急と思われる投資は行わず少しでもコストを切り詰めてそれでも何とか利益を出して、借金は早く返そうという行動を取ることになる。

企業単体の行動としてみれば、生き延びるためには当然の行動なのだがこれが国民経済全体で見たらどうだろう?
自分達が、削ったコストはどこか他の企業の収益機会を失わせたことになるし、見送った投資についても同様だ。誰かが作れたかもしれない売上の機会が失われているのだ。これが連鎖すれば、全ての企業で労働者の給与は減ることになる。そうなれば、GDPの6割を占める消費が減るわけで、経済へのマイナス効果は計り知れない。

特に投資の部分は絶大なマイナス効果だ。
削ったコストは、数万円、数十万円というものの積み重ねだが、投資というものは中小企業出会っても数百万から数千万、数億円、国家単位になれば数兆円というレベルの金額だ。これが、もし、投資として行われて誰か他の経済主体の売上になっていたらどうなるだろう?当然、その経済主体も他の経済主体となる下請けや孫請けに発注を行うし、資材の調達を行う。いわば、経済が発注主から下流の経済主体に還流し、最後にはそこで働く人達の所得になり、それが消費に回る。これが、乗数効果と呼ばれるもので、そのプラスの効果は絶大だ。いわば、1兆円の投資は一般的には最低でも2倍から3倍の経済効果を生み出すわけだ。

3年前に日本人は「コンクリートから人へ」という言葉にのって政権交代を行なった。

ここで、政治的な問題について議論する気はないが、冷静に考えればコンクリートとは投資である。この投資を行わずに、今の世代(人)に社会保障を通じて現金をばら撒くことの経済効果はどうだろう?実際、その一分は消費に回るが、1兆円のバラマキの経済波及効果は恐らく0.5あるかないかだろう。そして、何かものが残る投資とは違って消費の多くは、それこそ、今の世代が使うものであり次の世代に引き継ぐことが出来ないものが殆どだ。

つまり、今、「子孫に借金を残すな」と言って議論されていることが、如何に、逆に子孫に借金を残すことに繋がることか。それを気づいていたら、こんな愚かな判断を行わなかったことだろう。この責任全てを、国民が負うには、本質を報道しないマスコミの影響力がまだまだ大きいことを考えると酷なのかもしれないが「考える」ことをストップすることの危険さは私達も考えないといけない。

小さな額であるが、当社が行った投資はどこかの会社の売上になりそれが給料として配分され、そして、その給料から消費に連鎖する。経済上の全ての主体がこの連鎖に乗れば、当然、乗数効果から経済が成長する。その中には巡り巡って、私達の顧客となるであろう人達の給料アップにも繋がるだろう。全主体が健全に成長した中で、巡り巡って私達の会社にお金を落としてくれる。

これが、コンクリートから人へよろしく、この投資を見送って自分やあるいはご隠居してしまった世代への配当として回されたらどうだろう?
もちろん、一部には消費として使われるが多くが貯金に回ってしまい、投資・消費への波及効果は非常に低い。もちろん、ここで、では年金を削れというとまた問題になるのかもしれないが、この部分については、デフレーションが回復し徐々に物価が上昇すれば(インフレーションになれば)自然と、下の世代に実質的に資産は移動していくし、また、高齢者世代もお金を使うモチベーションになることから、消費も増えることになる。

私達の世代が本来やらなければならないことは、まず、経済を成長させることだ。
経済を成長させ、震災や台風といった自然災害に負けない強い国土を築き上げること。そして、世界経済が混乱しようともビクともしない企業を沢山作り、そこで雇用を生み出すこと。これこそが、子孫に残すべきものなのだ。

今、議論していることはどうやって「コンクリートから人」という偽善と欺瞞に満ちた言葉で、今の日本人が、先人が築き上げた財産を食いつぶすかに繋がってしまっていることにそろそろ、気づかないと本当にマズイことになってしまう。

日本はこの20年、改革だ政権交代だ、規制緩和だと目先の言葉に踊り踊った。
その結果が、20年間、名目GDPの成長がほぼゼロ、という世界でも例を見ない恥ずかしい経済情勢に繋がった。

私は民主主義に関して必ずしも絶賛はしないが、今、民主主義で国家運営をしている限りにおいてすべての有権者は責任者でもあるわけだ。
そのことを認識し、今、本当にやるべき事を冷静に考えることが大事だと思う。

その為には、マスコミに踊らされず自分の頭で考えることを常にすることが大事だ。

大山俊輔