大山俊輔です。今日は12月30日。
多くの会社はすでに年内の業務を終えているだろう。
当社の場合は、教育業(サービス業)となるため、対顧客向けの業務は28日で終了した。
ここから先は、社内で働いているのは自分だけなので、今までの懸案事項だった業務を誰にも遮られることなく、対応することが出来る。
前回は、「グローバル化以降の企業行動と国益について」なんて大げさなタイトルでエントリをしていた。
読んでみると、少しこっ恥ずかしいし相変わらずの誤字脱字だらけ。
とはいえ、それなりに自分の頭の中で普段考えていることを、文章に落とし込めているのでそのままま残しておこう。
今日は、この1年を振り返って自社の事業と日本についてまとめてみた。
この1年を振り返ると、すべての日本人にとって、東日本大震災と原発については外すことが出来ないだろう。当社にとっても、スタッフの7割以上が外国人という組織構成から、大いに影響を受けた。
その点について、事業というマクロの観点と日本というミクロの観点からまとめてみた。
■ 愛社精神と愛国(郷)心 ~ 結局本当に覚悟しているのは誰?
当社においては、やはり一番ショックだったのは震災後に、外国人スタッフが突如帰国してしまったこと。人数で見てしまえば、かなりほかの会社とまとめると幸運が重なり影響は限定的であったが、いざ、そうした問題が起きた時、逃げることが出来ないのは、自分だけだという至極当たり前のことに気づいた。
それは、福島原発の事故勃発後、真っ先に大使館を移動したりした国があることからも明らかだろう。逆に東北の人ほど、自分たちの生まれ育った町に残りたい。
でも、それを恨むのではなく至極当然のことと思うべき。
自分が、もし、その国家に対する帰属意識のない場所で働いていて同じことが起きたら・・・・。
もちろん、同じ行動を取るだろう。
そう考えると、人間というのは自分自身がどこに帰属するかというものに縛られる生き物だということだ。
自分の場合は、自分の会社は精神的に言うと、自分が産み落とした子であり、法的にはその法人の取締役であり、株主である。でも、そうした法的な解釈より精神的な解釈から、仮に自己を犠牲にしたとしても、また、そこにとどまることが非合理的であったとしても、わが子を守るような行動を取ってしまう。それが、立場であり、覚悟であり、その場に留まる人間の愛着というものであろう。
自分自身はもともと、証券会社の出身者でM&Aなど企業の売り買いを生業としていた人間だ。また、愛社精神というよりは、外資系企業を転々としてきた職業観の持ち主だった。
それが、いざ、自分が事業をゼロから産み落としてみるとここまで一見、当時の自分の価値観で言えば、非合理的な行動をしてしまう。それは、結局は人間が本来持っている父性や母性といったものなのかもしれない。
■ 日本人の美しさ・醜さ
もう一つ感じたのは、日本人の精神面の美しさと醜さが一気に出た気がする。
海外では、震災における日本人の沈着冷静な対応を褒めるコメントが多かった。確かに東北を見ていると、そうだろうと思う。本当に被災地の方々の震災発災時の対応は世界に誇るだけのものがある。
その一方、東京にいるとやはりうんざりしてしまったのは、スーパーから消えた水とコメ。そして、それが落ち着いてきてからは東北のことなどなかったかのような日常。
震災前後から世界はアラブの春に始まる民衆革命。
そして、先進国でもイギリスの暴動やアメリカにおけるウォール・ストリートの占拠運動があった。日本では、あれほどの大震災があったにも関わらず、そして、東北での復旧は未だ進まない中、何故かその東北を見捨てるようなTPPや復興増税といった火事場泥棒的な議論にも値しないようなことに時間を費やす。にも関わらず声をあげてそうした状況に対してNOの声を上げる人間は少ない。
私たちの商売ももちろん、平常状態に戻ってもらわないことには困ってしまうので速やかに需要が戻ってきたことは正直救われたが、その一方で、この意識は一国民として意識し続けたい。
■ 見えてきた戦後なるもの
この1年で自分の思想面でも大きく振り返るキッカケとなったのは、原発問題とTPP。まったく違うテーマのように見えるが、ここに、日本の精神面における戦後とはなんだったんだろうということを考えるきっかけとなった。
知人の一人で、自称左翼という奴がいる。
それに対称させる訳ではないが、強いていいえば私は右側(保守)。
原発問題に関しては、彼と私の意見は大分異なった。
彼は、原発は早期廃止、私は、エネルギー安全保障の観点から段階的に廃止だが現状は必要、という意見だった。単純に原発に関して賛成・反対で言えば、賛成派は保守、反対派は左翼という流れで見ている人が多かったと思う。その一方で、同じ原子力に関しても国家安全保障のために原爆の保有を検討することに関してはお互いに賛成だった。
しかし、その一方で、TPPを見ていると賛成側にはいわゆる保守派も多かったが、それ以外にも、左側の勢力でもマスコミから労働組合の一部までが賛成し、逆に反対派の中には保守派も多かった。
この中で今まで見てきた、保守・革新というのはそれほど単純なものではなく、
☑ 従来の保守の解釈
戦後的親米保守+従来の保守
☑ 従来の革新の解釈
戦後的親ソ・中革新+従来の革新
と分けてみるべきで、保守・革新ともに前者はどちらかというと戦後の冷戦時の価値観の中で分岐した内ゲバのようなもので、本質は実は同じじゃないかと思ったのである。つまり、共通しているのは日本のため、というよりは、自分たちの価値観の礎となっている国家(米・中ソ)のイデオロギーであって、日本のためという主体性がない(あるいは、そう思っていてもこうした価値観に拠っている)。
その一方で、従来の(戦前派の)保守と革新は、考え方のアプローチは全く異なるが、基本、日本のために何をするかという目的面では意外と一致している。だからこそ、意外と自民党の保守派と共産党の一部が考え方で一致することがあるのだろう。
いずれにせよ、共通しているのは戦後史感や戦後の体制というものから恩恵を被っているのは戦後的な左右勢力であり、左側はマスメディアや一部公務員組合のようなところに、そして、右側は大企業側に多く現在の日本の状況に対して、恩恵を被っている。また、考え方の拠り所としては、昭和20年までの日本とは決別していて私達の先祖たちとはある種の決別感がある。
逆に、私の知人や私の場合は、保守・革新といった所で、自分たちの存在は過去からの継続であると認識していて、だからこそ、いわゆる現状の保守派、革新派とも相容れないし、割り切れないだけにその恩恵を被ることも出来ない(笑)。
ただ、今までなかなか文章で表現することが出来なかったものを、明確に区分けするキッカケをこの原発問題とTPP議論が明らかにしてくれたのではないだろうか。
いずれにせよ、この1年は日本にとって失うものも大きな1年だったが、それと同時に、日本の本質的な課題が明らかになってきたのではないだろうか?
もちろん、私は一経営者。
まずは、事業を守るというミクロな行動が第一ではあるけれども、その一方で、マクロで合成される結果に対しても常に意識と責任感を持ち続けたい。
大山俊輔