いかなる優れた部分最適も、全体最適には勝てない
(ピーター・ドラッカー)
大山俊輔
日本人て本当に細かい作業が得意ですよね。
日本の職人さんの素晴らしい作品を見ていると、
「果たしてこれだけのものを作ることができる人は海外にどれくらいいるのだろう」
そんなふうに思います。
こうした日本の技術には日本人として誇らしく思う一方で、どうして、この30年日本は経済が低迷し、そして、その状況をずっと続けてしまうのだろう。
こんなことをふと年末考えている時に「マクロデザイン」と「ミクロ最適化」という言葉がでてきました。
日本の強みであり、弱みでもある「ミクロ最適化」。
経済のパイを大きくしないといけない時に何故か真逆の増税をしてしまうような謎の判断も、この「ミクロ最適化」がキーワードの一つで説明できるのかもしれません。
目次
日本の官僚が優秀、という定義と幻想
私がアメリカにいたころ(1990年代後半)はまだ日本経済のプレゼンスが高く、アメリカ人からも一目置かれていました。そんな時によく言われたのが、
「日本の官僚が優秀と聞いた」
という話です。
当時のアメリカ人の中にはベトナム戦争、ニクソンショック、そしてプラザ合意とアメリカ経済が日本経済に敗北を重ねていたときの記憶が強く、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』なんて本も売れていた時期です。
その理由を探る時に日本の官僚が各産業を監督し、指導していることが日本経済の強さであるような幻想を持っていた人も多かったのでしょう。
中には、日本マニアの人もいて、日本の法律には条文間の矛盾がなく、予算が1円たりともズレがない。それを優秀さの源のように思っているアメリカ人もいたことを覚えています。
確かに矛盾がないこと。
1円のズレもないことは事実かもしれませんが、他の国でこんな面倒なことはしません。
新しい法律ができて、古い法律と矛盾が出てくるときには、「新しい法律を優先する」と一言付け加えればいいだけですから。
それをしないで、過去の条文も含めてすべての智力を使う。
この細かさとミクロ最適化が日本の弱点なのではないでしょうか。
マクロの意思決定を阻害しミクロで問題解決をする国民性
このことは決して官僚や政治家だけを非難すれば済む問題でもないです。
私達日本国民ひとりひとりにこの問題はDNAとしてこびりついている気がしてならないのです。
じゃなければ、2019年の参議院選くらいは消費税に反対する票が賛成する票より多くなるはずです。
これは様々な問題が出てきたときに私達日本人の中ででてくる問題です。
例えば、なにか大きな問題がでてきたとき、その問題の本当の理由を見る前に起きている現象そのものの対処をして解決をしようとしてしまいます。
税率上げて税収下がる仕組み
例えば、2019年の消費増税。
このときの議論は、
増えゆく社会保障に対して、お金が足りない。
少子化対策にお金が足りない。
防災対策にお金が足りない。
だったら、税を通じて集めよう。
以上です。
一見、目の前の現象に対して対処するという視点では正しい判断のように見えます。
ですが、実際、これをやるとどうなるか。
日経平均株価は上昇して企業の業績が悪化とか
国の税収 2兆円超下ぶれ見通し 赤字国債追加発行へ – FNNプライムオンライン https://t.co/q2D27IzGiM #FNN
— デデ (@dedeseele) December 11, 2019
むしろ税収は減っちゃいました。
(多分、2020年はもっと悪くなるでしょうね)。
そりゃそうです。
税収の源は、GDP、ざくっといっちゃうと私達日本人の所得です。
その所得を消費税は削ってしまうのですから、長期的に見れば税収が増えない、むしろ減ってしまうのは当然です。(一見、伸びているように見えるときでも、やらなかった時にあった税収と比べると遥かに少ない)
本質的な問題解決にタッチしなくて回してしまう現場力
この問題は日本人の国民性とも関わってる気がします。
なぜ、霞が関や永田町がこんなお馬鹿な間違った意思決定を繰り返せるのか。
それは日本の現場力の高さではないでしょうか。
職人さんのお話に代表されるように日本人は基本真面目で、細部にまで目が行き届きます。
確かに官僚の条文1つ1つの矛盾をすべて整合性を取らせてしまう職人技は、あまり意味がないかもしれませんが、実体経済側に生きる私達も多かれ少なかれ似たところがあるのです。
さらに、日本人は忍耐力が強いです。
見てください。地球の反対のチリです。
チリ、抗議過激化で深まる経済混乱 景気後退懸念も:日本経済新聞 https://t.co/35C28aABxt 「チリで地下鉄運賃引き上げに端を発した政府への抗議活動の開始から2カ月が過ぎた。11月に予定されていたAPEC首脳会議が中止となった後も収束せず、市民と治安当局の衝突は日常の光景となりつつある」
— 山下ゆ (@yamashitayu) December 25, 2019
チリでは地下鉄の運賃値上げをきっかけにこれだけの暴動となり国際会議も中止されています。同じくらいの経済的困窮でも日本人だったらどうするでしょう?
海外からくる方々に申し訳ない
そんなまじめな理由でデモも起きないと思いますよ。
つまり、現場がまじめで我慢強いことが、霞が関、永田町、そして大企業のトップ層が全体最適を考えないで良い状態を作ってしまうのです。
要は甘えちゃうということでしょうか。
確かに戦争でもビジネスでもこうした現場力に助けられることは多々あります。
俗にいう「オペレーションの戦略化」というもので、現場が頑張ることで戦略的なミスを戦術的な努力で挽回してしまう事例です。
先の大戦でもこのパターンで米軍と善戦した戦いは数多くあります。
ですが、戦術だけでは個別の戦闘では勝てても、戦争そのものには勝てないのです。そして戦略不在による敗北のつけを払うのは、現場の兵隊さんたちでした。(今は国民ですね)。
悲劇的結末まで続く現場力
確かに、この現場力は海外からすれば羨ましいでしょう。こんなジョークがあります。
「世界最強の軍隊は?」
それならば、アメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官兵を集めれば良い。
「じゃあ世界最弱の軍隊は?
それは中国人の将軍、日本人の将校、イタリア人の下士官兵を集めれば良い。
みたいなやつです。
いずれにせよ、海外から見れば日本人は全体最適が苦手な国民性だと見られている好例です。
将軍に求められるのは、全体最適です。
一方、日本人の得意なのは部分最適です。
全体最適の判断はときには、一部の利害を損ねることがあります。
戦争などでも、勝利という全体最適のために特定の部隊を犠牲にするような判断が必要なことがあるでしょう。
日本人はこうした判断が苦手というかできません。
こうして、数理学者のナシム・タレブの言葉を借りれば
「小さなボラティリティ(変動)を避けようとして大きな破滅をまねく国民性」
と評されることになります。
確かに、私達は「小さな失敗をには不寛容だが、その結果として、大きくてまれな失敗を生み出す」というパターンに陥りがちです。
毛沢東の『主要矛盾と従属矛盾』
このあたりの思考パターンは悔しいですが大陸型の民族のほうが得意ですね。
判断のミス一つで、異民族との戦いに負けて民族が滅亡してしまいかねない。ユーラシア型の国家(中華皇帝やモンゴル・中央アジアの騎馬民族、中東、そして、欧州)の人々はこのプレッシャーの中で判断を行わざるをえません。
結果、一部を捨ててでも全体を守るという「全体最適」型の判断が優先されるのでしょう。
その代表は、毛沢東の『矛盾論』ではないでしょうか。
矛盾論のポイントは下記のとおりです。
・ 「従属矛盾」の背景にある大きな矛盾たる「所要矛盾」を解決すべきである。
実際、この矛盾論に基づいた発言をしている人がいます。
毛沢東のライバルでもある蒋介石です。
日本との戦争のさなか、国民党のトップだった蒋介石は日本との戦いをこのように評しています。
「日本との戦いは皮膚病のようなものだが、(毛沢東の)共産党は心臓病のようなものだ」
目の前での日本での戦いも大事ではあるが、中国大陸の統一を考えるときの本当の敵をしっかりと理解し、主要矛盾をどのように対処していくかというマクロ最適を蒋介石が考えていたことが伺える発言ですね(残念ながら、日本が敗戦した後、恐れていた形で蒋介石は国共内戦に負けるわけですが)。
先程の消費税の話でも、日本は社会保障の財源でお金がいるから増税だーという従属矛盾対策をしていることがわかります。
一方で、「経済が成長していない」ことを主要矛盾として見出して、経済成長するために何をするかを考えるかが、矛盾論的な解決策だといえるのではないでしょうか。
最後の可能性はジグザグ型の変化
私達日本人がこのようにマクロ最適が苦手なのはひょっとすると日本という国があまりにも恵まれていたからかもしれません。
ユーラシア大陸型の国のように油断すると民族がまるごと滅亡、という環境に日本が置かれたことは日本史では元寇、幕末〜日清日露、そして、大東亜戦争(第二次大戦)の3度しかありません。
したがって、常に全体最適を考えなくとも、ミクロな場当たり的な対応と現場力でなんとかなるという恵まれた環境だったという言い方もできます。
では、どのような時に変化が起こるのか。
それは、現場が持ちこたえられずに崩壊するときです。
戦争で言えば現場は兵隊さん。国家で見れば現場とは国民のことです。徳川家康の幕府開府のときには永遠に続くと思われた江戸時代も、あるいは、明治維新を経て世界最強と思われていた帝国陸海軍も現場の崩壊がきっかけで大きな変化となりました。
江戸末期は天保の大飢饉と度重なる災害で、100万人以上が餓死。義憤に駆られた大塩平八郎が乱を起こしています。そんな時に黒船がやってきても幕府は何もできません。
こうして既存の権力がレジティマシー(正当性)を失うと日本は変化が早いです。
そこからわずか数十年で、260年の鎖国の遅れを取り戻し、日清日露の大戦を勝ち抜き、気づけば五大国の一員になりました。一方で、皮肉なことにそこから30年でまたあっという間に敗戦で滑り落ちます(笑)。
山本七平はこの日本人の気質を「ジグザグ型進化」と名付けています。確かに、数百年続いた幕藩体制があっという間に崩れ去り、そして、廃藩置県があっという間になされる。そして、武士階級が解体され四民平等となる。
他の国ではありえないほどのスピードでの変化です。
これを良いと見るのか悪いと見るのか。
ただ、残念ではありますがこれが日本の国民性といえばそうなのです。
では、今の令和の時代はどうなのでしょう。
大塩平八郎の乱が1837年、そして、王政復古が1868年です。その間ちょうど31年、平成と同じ期間です。
令和の日本は果たして明治となるのか、それとも、まだ現場力が残っていてグダグダがしばし続くのか。いずれにせよ、自分が生きているうちに日本が再度復活できるように自分自身も頑張らないとなぁと思います。
大山俊輔