大山俊輔ブログ ー 脳科学による習慣ハック・歴史・経済のサイト

東京の奮発と集団移住のすゝめ~プリンシパルのある日本になりたい

東京の頑張り

大山俊輔です。芦屋から戻ってきて東北関東大震災が発生しました。

私達の拠点も震災で、PCが数台破損されるなど目に見える物理的被害がありました。
まだまだ、東北地方では被害の実体すら分からない。そして、原発情勢もまだ不透明な状況が続く。

これは、阪神大震災を経験した自分が見ても尋常ではない状態だと思います。
阪神大震災では、震災当日は自宅が損壊し家族全員の無事を確認し1月の真っ暗な中外に出たときはガスの嫌な匂いと、近所の見慣れた家が火事で焼けている、そんな地獄絵図でした。

震災から一週間もすると、小学校の非難拠点での生活も慣れてきて、そして、再興に向けてみんなが一丸になりました。

しかしながら、今回の震災は地震によるダメージとその後の津波による被害が追い打ちをかけたこと。そして、ここではあまり政治的なことは書きたくはありませんが、明らかに人災とも言える原発情勢による環境汚染と長い経済活動の停滞。どれも未曾有の事態です。

このエントリを書いているのが3月21日になりますので、丁度震災から10日目です。

当社では思い切って28日(月)までスクールを全てお休みすることにしました。
他の競合の社長さんからも「えっ」「そんなことしていいの?」って聞かれました。

いいんです。

うちの会社はお客様は全員が女性、日本人スタッフも同じくです。
そして、より今回の一連の事態に関して動揺が大きかった外国人スタッフが全スタッフの7割を占めます。だから意思決定としては、基本は安全が第一。もちろん、商売人の立場としては1円でも売り上げになる可能性があるのなら開けたいですが、ここは、筋を通す事がお客様にも社員にも、私達が何を大事にしているのかも伝えることが出来ると信じています(もちろん、臨時休業中の補填は別途行います)。

実際、私達も震災から3日後、すぐに再開をしました。
始めの頃は、他社さんの動向も気になりました。それに、迷惑はかけたくない。
しかし、その後の原発情勢や外国人スタッフの動揺ぶりを見て、今、無理に働かせて質を保証できないサービスを提供するくらいならと、思い切って28日までの臨時休校措置をとることにしました。

当初は、競合他社さんとも情報共有したりもしましたが、15日の夜にセブンイレブンに行ったときに全ての物資が無くなっていました。よく経済学で言うところの合成の誤謬というやつでしょう。物資そのものの量はマクロではまったく問題がないですが、個々がパニックに走ると店舗からは消える。

その一方、今日現在では、お店を見ていてもかなりの店舗が営業再開しています。
そして、今も多くの人が東京で頑張っています。もちろん、中には西日本に一時退避している人達もいます。

私はひねくれ者だからなのか、どっちも気に食わない。
みんなが逃げるから逃げる。もしくは、みんなが普通に外で食事してるから食事する。

どちらも、その行動に対するプリンシパル(規範)がない。

私の故郷、芦屋市の大大大先輩の白洲次郎はあの先の大戦が始まる2年前から疎開し武相荘と名づけて農家ぐらしを始めました。まだまだ、物資もあり、東京には人が溢れかえっている時です。

きっと当時の白洲の行動をバカにした人達も多いでしょう。
白洲は当時から日米関係の悪化から開戦、そして、敗戦まで想定してこの行動をとっていたそうです。仮にこれが杞憂に終わったとしても、白洲を馬鹿には出来ないでしょう。そして、実際に白洲の考えたように自体は進展した・・・・。

そして、東京にいるからといって残っていた人達に果たして、プリンシパルがあったのか。中には確固たる考えあって東京に残留した人もいるでしょうが、やはり、多くがみんながいるから・・・、ということだと思います。

過去数回のエントリでは故郷芦屋のことを書いてきました。

しかし、今回の大震災がきっかけとなるかは分かりませんが、私の場合はしばらくの間、東京の街にコミットすることになるでしょう。それは、事業を東京でやっているという大前提。そして、ここでお客様に社員と私達がお世話になっているし、今回の地震に際して、当面は、他のスタッフに全てを任せて東京を空けることも出来ない。震災に際してこの規模の混乱が起こったときに、任せきるほど、私達の会社はまだ成熟していない。

女川町では、家族を犠牲にして中国から着ていた研修生を全て逃がした社長さんがいらっしゃるそうです。その社長さんは研修生を高台に逃がした後、家族の安否を確認するために津波の中に飛び込んでいき亡くなられた・・・。事業をしていると、時にはこれくらいの覚悟がやっぱり必要になってきますが、なかなか、社員にそこまでの要求は出来ない。

その一方で、何も東京に抱え込んでない方は、これを機会に、もう一回、自分が生活したり仕事をする場所としてどこが最適なのか考え直す良い機会だと思う。

くれぐれも、その中には自分が残るにせよ残らないにせよ、確固たるプリンシパルを持つことだと思う。私は、今の会社を自分がいなくても回るところまで責任を持つというプリンシパルの為に東京で頑張ろうと思う。

それにしても、今回の震災の影響を受けられた皆様に心よりお見舞いを申し上げたい。そして、日本の復興に少しでも貢献したい。

大山俊輔