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リアリティのない日本 - 当社~東北~靖国

リアリティのない日本

大山俊輔です。8月に入ると自分は何故か心も体も落ち着かなくなる。

それは言うまでもない、8月は6日には広島が、9日に長崎、そして15日にあの大東亜戦争の敗戦の日だからだ。

かれこれ、日本で首相の靖国神社参拝が何故か政治問題となって、隣国(とはいっても中国と韓国がメインとなるが)とマスコミを巻き込んで騒ぐようになって何年経ったのだろう。昔は普通に東南アジアはじめ、北米、欧州、南米など各国元首が当然のように参拝していたのに。

靖国の話は後で書くとして今回は「リアリティ」を持たない日本人ということを書いてみたいと思う。日本人なんて第三者的に書くと自分はそうじゃないのか、と、突っ込まれるので言っておくと自分だって多かれ少なかれ同じ課題を抱えている一人の日本人だ。その話も後ほど。

自分は、広尾の自宅を出てから國學院大學を通り抜け氷川神社でお参りをする。ここでは、普段は両家親族の健康と発展をまずはお祈りし、次に、当社のスタッフとお客様の健康発展、阪神大震災の犠牲者への哀悼、そして最後に日本の末永い繁栄をお祈りする。

そこから、10分ほど歩くと金王八幡宮にたどり着く。
ここは、文字のゴロもいいから勝手ながら、自分の事業の発展と日本経済の成長をお祈り。

それに、今では東北地方のいち早い復旧と復興をお祈りして神社を出る。

しかしながら、渋谷駅に近づくに連れて何かやるせない気持ちに陥ってしまう自分がいる。

何事もなかったかのように聞こえてくる笑い声。
笑い声って言ってもいわゆる、幸せの中から自然発生的に聞こえてくる声ではなく、ゲラゲラというどちらかというと騒音に近い笑い声。百歩譲って、その笑い声が何か人生の中で本当に良いことに対して喜んだり笑っているのならいいのだが、残念ながら聞こえてくるのはテレビの話や俳優ネタとグルメに旅行、そして、自分の目先の快楽。

これが5ヵ月前に未曾有の国家的危機とまで言われた国の人間なのだろうか。
そう思うと、いたたまれない気持ちになってしまう。

もちろん、日本国が想像を絶するスピードで復旧復興し、既に被災地が震災前を上回る状態に国家の総力を上げて戻した後仕方ない。百歩譲って、それも平和のなせる副作用と思えるが、残念ながら東北地方はいまだに廃墟だ。

結局、これは日本人が公のことを考えず、自分の事しか考えなくなったからではないだろうか。命が大事。自分が大事。権利はもらうけど、義務は果たさない。これだったら、本当に何のために人として生まれたのだろう。

私は日本人として悔しい。
東京からわずか数時間の場所にいる同じ日本国民達がいまだに体育館で寝泊まりし、自宅はがれきと化し、遺体すら見つかってない人が何千人といる。それが、ついこないだまで世界第二位の経済大国と言われた日本だ。

きっと、東京で日常に戻ってしまった人でも現地に行けば、それなりに感情を移入する事になるだろう。ただ、そうじゃなかったとしても自分は一日本人としてこの状態の中で、日常に戻ることを恥と感じる。結局、今の状況というのは衣食住は問題なく出来てはいるが徐々に景気も衰退していく。そして、その衰退していく中での束の間の平静でしかないのに。

バーチャルなリアリティ。
映画、マトリックスを思い出してしまうが自分が言いたいのはどちらかというと当事者意識がないという意味でバーチャルということばを当事者意識としてのリアリティと組み合わせてみた。

まさに、この言葉と重なる状況を当社が経営的に厳しかったときにも感じたことがある。

その時期から私自身も代表取締役社長ではあったものの、所有は複数の株主に分散し経営も多くの取締役がいた。

今、思い出すことがひとつある。
当時、当社がベンチャーキャピタルから数億円の調達をする時。当然、相手は株価をつけて投資を行う必要があるため、当社の現状の精査(デュー・ディリジェンス)と将来性について事業計画の妥当性を検討する。

しかしながら、当時はカネ余りの時代。
ファンドも投資をすることはある程度することありきで、あとは、投資するためのストーリーを作るために当社を精査する。だから、事業計画は私とファンド担当者と一緒に適当に作成した。

それも、鉛筆なめながら、「・・年には・・・に出店」とか「・・・年には・・・・人採用」、売上はこれくらい・・・とか本当に適当。そして、全く根拠のない数字が出来上がってそれに株価がついて投資が行われる。

今思うと、当時は、私自身も会社の最終責任者というリアリティがあまりなかった。
共同代表でスタートし、自分はあくまでもオペレーションの責任者、というくらいの感覚だった。法的には社長だが気持ち的には副社長くらいの気持ちだった。そして、困ったら会長が何とかしてくれるだろう、あるいは、ファンドが追加出資してくれるだろう。

とんでもない楽観論で事業をはじめてしまったものだ。

もちろん、創業というものにはある程度、Reckless=向こうみずさが無かったらはじめられない。その無謀さから今のサービスと雇用が生まれたと思えばそれは結果論としては、良かったと思うが、誰が最後に責任を持つのかというのは会社の所有権が分散し、大きくなればなるほど曖昧になる。

ソニーが赤字決算でも会長の給料が数億円も取れてしまうのは、まさに、自分のことしか考えてないからだろう。きっと、創業者だった盛田昭夫や井深大が今の状況を見たらどれだけ心を痛めるだろう。ハワード・ストリンガーは退任後は、元ソニー会長という名前でまたどこかでやっていけるのだろう。だが、彼が去った後には荒廃したソニーという公の器としての会社だけが残される。

話は自分のことに戻るが、あの当時は、会長は社長の私の現場力に期待してたし、私は困ったら会長に助けてもらおうと考え、投資家はよくわからないが少なくとも自分たちで何とかする、とは思ってなかった。

よくもまあ、会社を潰さずに落ち着いたもんだと今になって思う。
そのキッカケは会社が大変になったときに、みんなが逃げようとしたこと。そして、現場に一番近かった私は逃げそこねた。結果、自分が腹くくって全部責任取ると決めたことで、なりふり構わず遮二無二、事業に邁進するというごくあたり前の体制にすることがぎりぎり間に合って立て直せたということだろう。

その時初めて、私にとっての事業がバーチャル・リアリティからリアリティに変化した。
そうなると、もし、会社に何かあったら自分の人生がどうなるのだろうということがリアルに想像できるようになる。そして、自ずと出来ることをすべて実行する行動力と、つまらない見栄や対面などは捨て去る勇気が出てくる。そして、今までできないと思うことが出来たりする。もちろん、その過程で一番大変だったときは、夫婦で駒沢通りの歩道橋から飛び降りようと思ったことだって何度あったことか。

自分が大事な人生を投入している事業ですらバーチャル・リアリティに陥るわけだから、国家となると一人一人が相当、日本国民としての自覚を持てないと今回のようになるというのは残念ながら当然の帰結なのかもしれないし、渋谷でそこまで失望するほど自分も偉そうなこと言えたもんじゃない。

そして、8月に話を戻して靖国神社。

今から66年前多くの日本人が亡くなった。
軍属で200万人、一般人が100万人。合わせて300万人以上もの人々が亡くなった。

靖国神社参拝に反対する人々はいる。もちろん、日本軍の一部には調子にのってしまい問題のある軍事行動もあっただろう。しかしながら、当時の日本人の多くは、国の危機を自分の危機と受け止めた。そして、仮にその危機が実現したときに自分たちの国がどのような状況に置かれるのか。それが、我が事のようにリアリティを持って見えたのであろう。

そして、国家の尊厳を、そして、家族や愛する人を守るために戦った。なかには戦後も東南アジアに残りアジアの独立を達成する理想に燃え散っていった方達が何万人といる。

そういう時代だったのだ。今の時代の感覚で批評する資格は私達にあるはずもなく、まずは、素直にそうやって命を捨ててくれた方々に感謝し、そして、亡くなられた方々に哀悼の気持ちを表する。あの、帝国主義の時代、不幸なことに有色人種の国で唯一大国となり白人西欧列強諸国に対して対等の立場でモノ申せたのは、残念ながら、当時イエローモンキーと揶揄された日本だけだった。しかし、日本はモノを申すだけの力と気概があった。

そして、いろいろ問題もあったであろうが、対等の人間として見られず奴隷同然だったアジアの開放ということを信じて命を若者が賭した時代だったのだ。どれだけの人達が、戦後インドネシアに数千人という日本の若者たちが残留し、オランダからの独立戦争をインドネシア人と共に戦いそして亡くなったかを知っているだろう。東南アジアの国々の国旗の多くが、そうやって彼らが独立する際に、自国民と一緒に散っていった日本人に対する感謝として日の丸を入れたり、日の丸の赤を入れてくれていることを知っている人が少ないのは本当に残念だ。

そして、戦況が悪化する中での神風特別攻撃隊。

あの堕落論を書いた坂口安吾であるが、「特攻隊に捧ぐ」というエッセイがある。
GHQに検閲され当時陽の目を浴びなかった文章であるが、今、見直すと私の心情とほぼ重なる。

全文掲載すると長くなるので、そのエッセンスとなる部分を掲載しよう。

—–引用

もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈(はず)はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。

引用終了—–

あの10代・20代の若者たちが神風特別攻撃隊として飛んでいったことすら、国の責任と批判する人達がいる。それは、彼らに対する侮辱であると同時にお門違いもいいとこだ。そして、そうやって他人ごとのように非難だけする人間は、当時の日本国に責任をすべて押し付けて自分は大上段に構えてのらりくらりとする。

それは日本人として本当に恥ずべきことだし、そんな人達が今の彼らの犠牲のもとにここまで築きあげられた今の日本の繁栄を享受する資格はないと思う。

ただ、震災後の日本で起きていることはまさにその蒸し返しではないだろうか。
原発事故発生後の日本人の行動。茫然自失と思考停止。そして、公益ではなく自己愛。そして、すべての責任を東電に押し付ける一方で、お花畑のクリーンエネルギー。

もちろん、賛成派も反対派も原発を永続させることなどこの地震国で期待してないだろう。
誰だって放射能は怖い。しかし、現実とは向き合わずに声を大きく自己アピールの為にきれい事だけいい東電を叩く。かといって、覚悟があるのかというと、電気がなかった江戸時代まで自分の生活を戻す覚悟もなく、文句をいいながらもクーラーの効いた部屋にいる。

私は原発デモもやるのもこの時勢上必要もあろうかとは思うが、今、福島に留まり現場で戦っている人達は叩かれている東電社員であろうがそうでなかろうが、平等に称賛に値すると思う。あの現場の人達は少なくともきれい事ではなく、今、目の前の危機を取り除くべく利害関係を超越し、我が身を放射能に晒しながら公益のために戦っている。その状況は損得勘定ではない。原発情勢直後にFukushima50といって騒いだのにすぐに忘れて、ここぞとばかりに自分の権益の為に耳障りの良い偽善を発信するメディアや学者、タレントこそ自分を恥ずるべきだ。

話が戻るが、あの当時の日本人は、自分だけではなく、“公”というものに対して当事者意識が高かったのだろう。それは当然だ。自分たちが恩恵を被っている国家や団体・企業に何かあれば、それは自分に降り掛かってくるという意識が当時の日本人には自然とあった。なぜなら、彼らの1世代前、わずか数十年前、まさに明治時代には判断を一回でもミスしたら列強の植民地になっていたかもしれないという経験がまだ日本人のDNAに残っていたのだろう。

もしなければ、あの明治から大正まで、白人列強諸国に植民地化されていただろうし、その後、有色人種として唯一の列強の一員として遮二無二に駆け上がることは出来なかっただろう。

そして、あの大戦(大東亜戦争)が集結した後、私達日本人はあの戦争で命を賭して死んでいった人達から、命をもらって今の繁栄を築き上げたはずだ。少なくとも昭和世代にはその死んでいった仲間たちを背負って生きてきた気持ちが残っていただろうが、私達はその気持すら忘れて今の目先の快楽や利害に日々、右往左往している。

私達は、本来は先代が自分たちを犠牲にして守った日本、そして、その後、奇跡の復活の中から繁栄した日本を次の世代にバトンタッチする義務がある。もちろん、経済的な繁栄だけではなく、日本人としての誇り、そして、世界の発展と平和に貢献しようという気概。だからこそ、あの8月15日まで日本が少しでも良い条件で講話できるようにと、命を捨ててくださった(当時若い命を犠牲にしてくれた)祖先に感謝する気持ちくらいは持つべきだろう。そして、そうやって植民地になり誇りも奪われ奴隷のようになった国がどのような状況であったかを皆が知識として共有していた。

ここで日本人が耳に聞こえのいい他人ごととして振る舞えば、私達の世代は先の亡くなっていった世代の人達が残した魂を愚弄した上に、戦後築き上げた資産も食いつぶして経済も軍事も三流国家として次の世代にバトンタッチしてしまう。

そんなこっ恥ずかしい事に加担することは自分は出来ない。

とはいえ、私も所詮は一介の中小企業経営者でしかない。
だから、自分がまず出来ることを当事者意識を持って考えるとすると、まずは、事業をしっかりと発展させること-その過程で金銭的な利益を享受することは企業として当然だが-その中から少しでも、自分の周りにいる人間に対して良い影響を与えることで少しでも日本が良くする。もちろん、当社は100%内需産業だから多少はGDPにだって貢献する。

起業家という人種は一般的に自己中心的に見られがちだ。
もちろん、自分もそういうところがないとは言えない。いやいや、自分のことは大好きだが会社の危機を通じて、従来から自分の中にあった公に尽くす気持ちというものは、沸々と湧き上がる。やっぱり、自分の周りにいる部下くらいは絶対に幸せにしたいと思うのが人としての感覚だ。

大山俊輔

だけど、最期にがんばれ日本!!といいたい。