習慣デザイン=自分ハック

岡山白陵中学校を1学期で挫折してよかったこと

岡山白陵

ハビットマン

こんにちは。習慣デザイナー・ハビットマンShun、もとい、大山俊輔です。

実は私、中学校を1学期で退学しています。
退学した学校の名前は岡山白陵中学校。あまり関東では有名な学校じゃないですが関西方面の受験ママの間では有名な学校です。

いろいろな経緯から私は1学期で退学しました。
退学した当時は、家族も地元では肩身の狭い思いだったと思います。が、今思えば1学期で損切りしたことは今の自分を振り返ると最も良き人生の判断の1つだったと思います。

岡山白陵中学校について

あまりに昔の思い出ですので、どんな学校だったかをうまく説明することはできませんが進学校として有名な全寮制の学校でした(一部地元の人もいる)。気になる人はWikipedia見てみてください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%99%BD%E9%99%B5%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

岡山県の超田舎にある学校で、場所柄、勉強と運動以外はやることがない学校です。
となると、私のようなオタクにはまったく適性なしです。

なんでお前はこの学校に行ったんだ?

という疑問が湧いてきますが、シンプルな答えとして地元の私立の有名校を落ちたからです。

偏差値は岡山白陵のほうが遥かに高いのですが、なぜか、ラッキーなことに自分の知っている算数の問題(確か旅人算でした)がそのまま出てきて偶然回答できたのを覚えています(笑)。

ですが、それで身分不相応の学校に受かってしまったのが不幸?のはじまりでした・・・。

岡山白陵中学校の思い出

思い出はとても厳しい寮生活とひたすら勉強と運動。

これに尽きます。私のようなロスジェネ世代は1学年200万人世代です。
受験戦争という言葉がもてはやされ、家族も近所もみんないい学校に行っていい会社に行くことが正義という価値観の時代でした。(それが、まさかの平成大停滞によりこの価値観が大きくゆらぎ、令和になって社会問題になるとは思いもしませんでしたけどね)。

1学期しかいなかったので思い出としてはかなり偏ってますが下記のようなことでしょうか。

朝、チャイムが鳴ったらすぐに集合

朝は6時にチャイムが鳴ってカウントダウンがはじまります。そして、そして、ダッシュで中央に集まって体操が始まります。

チャイムが鳴ると確か、

「起床!」「起床!」「全員直ちに起床!」「起床!」

と寮長の怖い声が拡声器で聞こえてきました。まじ、どっかの収容所並みの厳しさです。でも、今ではこの声が恋しく感じます。

夜は勉強時間

そして、夜は決まった時間にみんなが集合し勉強部屋で勉強を強制されます。その間、寮の先生たちが居眠りしたりしてないかチェックする。

私のような自由人には辛い時間でした。

決して学ぶことは嫌いではないですが、いかんせん、決められた科目をバランス良く決められた時間に行う。これは私には無理ゲーでした。

髪の毛は五厘刈り

髪は坊主がルールでした。今じゃロン毛の私ですが当時は五厘刈り。

確か、岡山白陵のある熊山駅の目の前に床屋さんがあってはじめはそこでおしゃれしてカットしてもらってたのです。でも、そもそも髪ないしいいじゃん。ってことで、寮で学生同士バリカンでカットしてました。

1学期目に起きたこと

成績はビリに、地理だけ1位

私にとっては、この生活は人生においてなかなかつらい時期でした。

今のように、リスクを取る代わりに自由な選択を優先することを選ぶ自分が勉強時間から科目まで強制されるというのはかなり厳しいものです。

ですが、他の子達はみんな偉いかな、ちゃんと決められた時間に起きて、勉強時間に勉強してそして、運動をできるのです。これができない私はどうなってしまったか・・・。

1学期目の成績はひどいものでした。

この学校では全学年成績が公開されます。

中間・期末試験の結果、後ろから5番くらいだったと思います。
決して勉強は小学生時代嫌いだったわけではないのですが、こうした決められた生活が自分にはまったく合わなかったのでしょう。

小学生時代得意だったはずの数学、そして、今仕事としている英語はビリでした。

ですが、1つだけ例外が・・・。自分の大好きな地理だけは1位でした。
今思えば、あの頃から好きなことは好きだけど興味ないことは徹底してやらないバランスの悪い少年だったのだろうと思います。

カブトムシ事件

そして、このバランスの悪い私によりによってもう一つ悪い事件が起きました。
その名もカブトムシ事件。

岡山白陵でのカブトムシ

岡山白陵のある熊山市は超がつくくらい自然のある田舎。
寮の目の前のクヌギの木にはカブトムシがいます。

子供の頃の私はファーブルに憧れる昆虫少年。
このカブトムシを見て捕まえないわけがありません。

ところが、岡山白陵の他の少年たちはほとんどが興味がありません。
ある日、私は思い立って夜中に寮を抜け出てカブトムシつかまえに出ました。ところが・・・・。

ブザーがなりあえなく先生に見つかりました。

そして、1週間の謹慎。
自分の中ではまったく悪いことをした実感がなかったのですが、ここでも大人にしつけられてしまいます。

このタイミングで私には大人の言うことを聞きながら勉強とスポーツに明け暮れる6年間の学生時代を過ごすことは無理ゲーであることを悟ります。

アトピー悪化

そして、私の幼少期を苦しめたアトピーが悪化します。

これだけ自然があって、本来ならアトピーも良くなりそうなものですが、ストレスからでしょうか。日々、肌が荒れてきて人前にでるのも億劫になってしまいました。

このことも、当時、多感だった自分に寮生活を断念させていくことになりました。

退学して思ったこと

そして、1学期目が終了。夏休みに入ります。
夏休みは実家に帰って、小学生時代の日常に戻ります。

当時、家族っ子だった自分はいかに家族のことが好きだったのかを再確認します。
そして、夏休みも終わりが近づくにつれて、強烈に地元に残りたくなってきます。

結果、私は岡山白陵中学校を退学することを決意します。
決意したのは私ですが、そのことを即断で理解し私の判断を尊重してくれた両親は今思っても感謝です。

もし、私があそこで忍耐強く6年間頑張ったらどうなっていたでしょう?
多分忍耐力はついたかもしれません。

でも、嫌々ながら勉強しているので進学校とはいえそこまで成績も伸びなかったでしょう。そして、中途半端なエリート意識を持った中途半端な社会人となったかもしれません。

そう考えると1学期目での挫折は早かったですが、今思い出しても良い判断だったと思います。
そして、それ以降の私は好きなことを好きな時に学び続ける。生涯、学ぶことが大好きな人間になりました。

これが一番良かった。
正直、今が一番人生において勉強しています。
勉強と言っても、学校の勉強というよりは仕事を通じた学びですが・・・。

ちなみに退学する時先生にこう言われました。

「君のように1学期でやめるようなのは10年前にいた○○以来だ」

そのときにはやめることで精一杯で意味がよくわかりませんでした。
ですが、「6年我慢すれば、国公立大学に行き、ゆくゆくは医者か、官僚か、大企業のサラリーマンか」と入学式のお祝いの言葉があるような環境で自由人の私が頑張ることは不可能。でも、先生的にはこんないい学校を1学期でやめやがって・・・。そう思う気持ちも今なら理解できます。

あとで調べて知ったことですが、おそらく、楽天の創業者三木谷浩史さんのことだと思います(笑)。
あの三木谷さんもここの学校の退学者だったのです。

ずいぶんスケールも小さくなりますが私も同じドロップアウト組。
頑張って良い会社を作ろうと思います。
 

大山俊輔