習慣デザイン=自分ハック

【誤解】ぶっちゃけ中小企業の社長は下級国民ですよ(上級国民=既得権ある人です)

上級国民と下級国民の定義

ハビットマン

こんにちは。習慣デザイナー・ハビットマンShunです。今日は経営者大山俊輔として書いています。

最近、テレビやネットで「上級国民」「下級国民」という言葉が注目されています。例の池袋での車の暴走事故で運転手だった旧通産省の方のその後の展開から、この言葉がブームになったようですね。

この方が逮捕されるかされないかは、諸々の評価があるようでそこに恣意性があるかもわかりませんが、この事件がきっかけとなって漠然と日本人の中で進んでいた社会の分断がもはや用語化してしまったのだと見てもよいのではないでしょうか。

一方で、この「上級国民」と「下級国民」の定義は非常に曖昧で、私達も漠然と使ってしまっている気がします。

例えば、中小企業の社長(私も一応その中に入ります)は「社長」という言葉ひとくくりで、経団連などの社長などとまとめて上級国民扱いされてしまいますが、はたしてそうなのでしょうか?ぶっちゃけ、中小企業の社長は間違いなく下級国民、というのが正しいです。

そこで、今回はこの上級国民、下級国民議論をもう少し掘り下げつつ、恐らくこのブログを読むであろう同じ下級国民カテゴリに属するみなさま、私たちがどのようにこの分断社会日本で生きていくのかについてまとめてみました。

2000年以降急速に進んだ社会の分断

私は1975年の生まれですので、いわゆる団塊ジュニア世代。そして、社会人になるタイミングの視点から見るといわゆるロスジェネ第1世代に属します。

この世代は1学年に200万人近い新生児が誕生した世代です。

幼少期といえば、同じ小学校には町工場の社長(というかおやじ)の子供もいれば、近所の八百屋の子供もいましたし、大企業サラリーマンの子供もクラスで一緒でした。確かに、家に行けば誰の家が金持ちなのかはそれでスグにわかりましたが、当時はそれほど社会が切り分けられていると感じることはありませんでした。

池袋の事件では90歳を前にしたおじいちゃんの事件で、この社会的分断は昔から存在していたことがわかりますが、明確に分断を意識することになったのは、2000年代以降の社会的情勢の変化が大きな理由だといえるでしょう。

2000年以降急速に進んだ社会分断

日本の社会分断は2000年以降急速に進みました。

特に大学を卒業した仲間を見ているとわかりますが、当時は北海道拓殖銀行や山一證券が倒産した直後で、大学卒業時に半分ちょっとしか仕事が見つからない時代でした。

その後を見ていると仲間の人生はバラバラです。
あえて、私は3つのパターンで区分けしてみました。

正社員・公務員組

当時、運良く大企業に就職できた仲間でそこから飛び出して転職した人は殆どいません。あの時代に、正社員になるというのはとても大変なことで、もう就職活動をするのは懲り懲り、という気持ちが強いのでしょう。

ザ・ロスジェネ組

このチームは、当時就職活動で仕事が見つからなかったり、見つかったものの会社が倒産し放り出された集団です。その後、正社員でうまく紛れ込み直した人も少数ながらいますが、多くは、非正規での仕事に甘んじています。

カオス組

まったく、そうした世の中の状況を知らずに自分の世界に入り込んでいった人たちです。中には芸術やスポーツなどで花開いた人もいますが、多くはその後「ザ・ロスジェネ組」に吸収されていきました。

私も飛び出して、起業したので恐らくこのカテゴリに属しています。

分断が固定化され世代間に継がれる

こうして、同じ時代を過ごしてきたはずの日本人であっても、自分がどのグループに属したかによって徐々に固定化されていきます。そして、この固定化された生き方は、目に見えない分断を各階層に作り上げてしまいます。

当然ながら、いずれのグループに属したとしても、そこには家族がいたり人間関係がありますが、その人間関係同士においても同じく明確に分断され、グループ間の交流が希薄化します例えば、東京などで大企業の正社員で潜り込んでそのまま40代を迎えた層は、なんとか家庭を持ち住宅ローンを抱えながら家を建てることもあるでしょう。

一方で、非正規になってしまった人は地元に残りブルーカラーとして未婚のまま40代を迎えている人も数多くいます。住宅ローンなど組めるはずもないですし、結婚すらできない人も多いのが実情です。

こうして、仮に大学時代の同窓会などあろうものなら、お互いの価値観は全く異なるものとなり話があうはずもないことでしょう。そして、この流れは次の世代へと引き継がれ、更に社会の分断は進むのです。

上級国民と下級国民を切り分けるキーワードは「既得権」

一般的な定義と間違い(ホリエモンは上級国民?下級国民?)

ここで、ネットで見かける上級国民と下級国民の定義を見てみましょう。

上級国民(じょうきゅうこくみん)とは、一般国民と対をなす、日本国民の身分を表す概念のひとつである。

<概要>
上級国民という言葉は、一般国民に対してそれ以外の(特別な)国民がいるかのような発言を受けて、それを皮肉るために生まれた単語(ネットスラング)である。東京オリンピックエンブレム騒動を発端とし、主に2ちゃんねるの嫌儲板を中心として発祥した。

当初は(デザインに精通している)専門家側の上から目線の言葉を皮肉るために用いられたが、その後は上級国民という言葉の連想から、政治家や役人、資産家などのセレブリティ層を批判的な意味合いにて指し示すようにも用いられるようになった。

(出所 ニコニコ大百科https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E4%B8%8A%E7%B4%9A%E5%9B%BD%E6%B0%91)

私はこの定義は決して間違っているとは思いませんが、かといって正しいとも思えません。というのは、先程の3つのカテゴリで言うと、カオス組の中には非正規で苦労している人もいれば、一発逆転で成功した人もいるからです。

12年間勤務で月給14万円「日本終わった」騒動に見るホリエモン

身近なところで言えば、ホリエモンは果たして上級国民でしょうか。

日本の既得権の最高峰でもあるテレビ局に喧嘩を打ったことで、目をつけられて逮捕されて投獄されました。彼の性格だからこそ、服役後に表に出てきて復活しましたが普通の人であれば、ここで社会的に抹殺されていたことでしょう。そういう意味では、ホリエモンは「下級国民」の中の異端児だったと言えるでしょう。

確かに最近ですと、「12年間勤務で月給14万円「日本終わった」」という発言に対して「お前が終わってんだよ」で炎上したことで、ホリエモンは上級国民だ、という風に錯覚した方もいらっしゃるかもしれません。この14万円のサラリーマンという方が正社員なのか非正規雇用なのかわかりませんが、金額的に相当平均賃金の低い地方の方でないとすれば、非正規か派遣だったのではないでしょうか。そう考えると、下級国民内の成り上がりのホリエモンとザ・ロスジェネの内輪もめという構図で見ることもできます。

既得権=上級国民の共通項

ホリエモンより遥かに資産は少ないかもしれませんが、リスクもなく安定した環境で、問題を起こしても身内にかばわれてそのまま逃げ切れるような組織で働く人達も数多くいらっしゃいます。

よくあるのが、官庁などで働く官僚でセクハラや社会的に許されないような行為をしながら、謝罪して退職したことになってるけど、退職金はちゃっかりとたんまりもらって、、、、なんて人もいます。この人達は日本版上級国民と言えるでしょう。

となると、正しい「上級国民」と「下級国民」を切り分けるものは、社会的地位ではなくて「既得権がある」のか「既得権がない」のかが正しいのではないでしょうか?

MEMO
こうしてみてみると、経団連の社長=もろ既得権です。中小企業の社長は一部の既得権ある美味しい業界を除き下級国民です。近所の八百屋さんや町工場の社長は間違いなく下級国民ですよね。

日本版分断社会のもう一つの原因 -「新卒一括採用」

そして、日本においてはこの分断を助長するもう一つの原因があります。それは、新卒一括採用のシステムです。

日本では、どの時代に社会人になったのか。あるいは、たまたま大企業に潜り込んだか潜り込まなかったかでその後の生涯年収はじめ、大きな差がつく社会です。その一番の理由は、新卒一括採用という日本独自の仕組みは、その時の景気動向などにより採用数の大きなコブをつくってしまうからです。

同じ能力であっても、いつの時代に社会に出たかにより、その後の人生は大きく変わります。そして、最大の問題はここで取りこぼされると起業するなどリスクテイクによる一発逆転がない限り、リカバリーが打てない社会であることです。

最近では政府はロスジェネ世代の救済をするべく手を打つなんて言ってますが、はっきりいいましょう。もう手遅れです

本来、この問題をここまで拡大させたくないのであれば、正しいマクロ経済政策を打ってデフレを20年以上放置しなかったことでしょう。デフレ期待を更にあおる消費増税が2019年10月に施行されましたが、これははっきり言って意図を持って社会分断を進めているという解釈もできなくはありません。

私も最近まではなんで経済にブレーキを掛ける政策ばかりしてるのだろう?バカなのかなと思ってましたが、最近では考えを改めました。間違いなく、政策を考えている人たちは、残念ながら意図的にこの分断政策を進めていると思います。とても残念なことです。

最後は生き方という選択の問題

となると、下級国民はこの残酷な現代日本をどう生きるのか。という選択肢の問題になります。

既得権層の悩みと恐れ

上級国民(という名の既得権)になれたとしても、それが幸せかといえばそうとも言えません。既得権側にいたとしてもいつ、そこから振り落とされるのかという不安を抱えながら生きているのが実情です。

そりゃそうです。外に放り出された時に既得権側の大企業や官庁で働いている人は、自己の能力開発の機会が少ないです。官庁であれば書類作成、大企業も一部の成り上がり創業者が生きている会社を除けば、税制など優遇を受けた環境でぬくぬくと仕事をしています。

中小企業やベンチャー企業で切磋琢磨している人と比べると、残念ながら既得権側での仕事は「仕事ごっこ」の感は否めないでしょう。

ということで、運良く既得権側に紛れ込めても幸せとは限りません。むしろ、振り落とされる不安が増大することで、メンタルを病んでしまうかもしれませんし、変なプライドによって問題を引き起こしてしまうかもしれません。

そう考えると、今の日本では下級国民(既得権益のない)側で切磋琢磨しながら、別の選択肢を考えるのが楽しいのかもしれません。

まとめ – 日本の下級国民は貴族を目指せ(ただし、「オルテガ」仕様)

ということで結論です。

上級国民と下級国民の分断はますます進み、もはや、回復の難しいレベルまで日本社会は分断されてしまっています。

では、自分が下級国民と思っている人はどうすればよいのでしょうか?私は「貴族」を目指すべきと思っています。ただ、ここでいう貴族というのは、スペインが生んだ偉大なる哲学者、「ホセ・オルテガ・イ・ガセット」が言う「貴族」です。

ちなみに、彼の貴族というのは「精神貴族」のことで行き方の選択が貴族的であるかを問うているのです。

 

私にとって、貴族とはつねに自己を超越し、おのれの義務とそれに対する要求として強く自覚しているものに向かって、既成の自己を超えてゆく態度を持っている勇敢な生の同義語である。

ホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』より

つまり、常に自分を向上させ、「かくありたい」姿に向かって日々努力して生きている人こそが貴族である、と、オルテガは言っています。そこに、属する階級が上級国民か下級国民かは問いません。

ですが、貴族的な生を探求する人は、能力もついてサバイバル力もついてくることでしょう。今の日本に絶望すれば、そのときは、日本をあきらめるというのもひとつの選択肢です。

ハビットマン

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私は日本を愛してますので、なんとかしたいと思いますが、かくまでに分断が進めばこういう選択から海外から日本を良くするということを考える下級国民上がりの成功者も今後増えていくことでしょう。

では、下級国民の皆さん、一緒に貴族(ただし、オルテガ仕様)目指しましょう!

ハビットマンShun(大山俊輔)