愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

 
 
こんにちは。大山俊輔です。
最近、涙腺がもろくいろんなことで涙してしまっています。
 
 

アメリカに留学する前(1998年)、祖母の実家のある鹿児島の知覧に行ったことがあります。
知覧といえば、知覧特攻平和会館。先の大戦で日本が亡国の間際にまで追い込まれた時、ここから多くの若者が米軍と戦う沖縄戦線に飛び立っていった場所です。
 
 

大学を卒業した時、まだ、多感な自分はこの記念館に圧倒されて号泣してしまいました。
その時は純粋に、自分と同い年くらいの少年たち(しかも自分よりはるかに優秀な)がここで人生を散らせなければいけなかったのか。
といった運命の悲哀に対しての怒りのようなものでした。
 
 

その後、自分自身は帰国し、いくつかの会社で働いたあと、今の会社を起業しました。日々、問題に追われながらの生活ですが、相変わらず自由気ままにやらせていただいています。が、そんな時、ふとしたことから知覧のことを最近思い出すことがありました。
 
 

そして、ここで出会ったのが上原良司さんです。

上原良司さんについて

上原 良司さん(1922年9月27日〜1945年5月11日)。
旧制松本中学校を卒業後、上京。
慶應義塾大学予科に入学。
 
 
長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)に医師上原寅太郎の三男として生まる。
旧穂高町(現・安曇野市)有明で育つ。
1942年に慶應義塾大学経済学部に進学するものの、経済学部在学中に徴兵猶予停止によって学徒出陣、大学を繰り上げ卒業した。
 
 
陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。
1945年5月11日午前6時15分、陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として他の隊員たちと『男なら』を合唱したあと愛機の三式戦闘機「飛燕」に搭乗し知覧基地から出撃、約3時間後に沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入して戦死。
 
 

享年22。
 
 

あまりに早くそしてあまりに惜しい方を日本はこの日に失いました。
数多くの他の戦死者とともに。
 
 

上原良司さんの「遺書」について

まずは、上原さんのご両親への遺書です。
22歳の方の人生の締めくくりの文章です。
 
 
今を生きる私達の中で22年の人生でここまでの思想の昇華を見ることが果たして可能なのだろうか。

 
 
そう思ってしまう文章力です。

 
 
特に読んでいて圧倒されるのは文章力のみではなく、その内容。
当然、検閲もあったであろうこの時期に、
 

私は明確に云えば、自由主義に憧れていました。
日本が真に永久に続くためには自由主義が必用であると思ったからです。

 
 
このように、自らが自由主義者であることを告白するということは大変なことだったと思います。
これは何も日本だけでなく、他の枢軸国や挙国一致で戦っていた連合国ですらそうだったことでしょう。
 
 

読み進めていけばわかることですが、ここで言う自由主義者というのは決してレッセフェール(やりたい放題)主義者でも、リバタリアンでも、冷戦後居場所のなくなってしまった旧左翼が言うところの自称リベラルでもありません。彼の言う自由主義とは、イギリスのエドマンド・バークに始まる本流の自由主義。つまり、その自由とは、他者の自由を尊重し制限せず、己の自己完成を成し遂げるために自由を追求する、という意味での真の他者に優しく、そして、強い本物の自由主義です。
 
 

この時代、戦争に勝つためには日本はじめ枢軸国のみでなく連合国も含め全体主義的になってしまっていた時期です。
その中で一般市民から軍人から政官界からメディアまで基本的にはその流れに乗ります。
長きに巻かれる方が(ヘタレになる方が)楽ですからね。
 
 
今でいうと、消費増税議論でメディアから学者までほぼ増税で一致しているのは
まさに、先の大戦に突っ込んでいったときと同じです。理路整然と考えれば、この時期の消費増税は間違いなく再デフレ圧力を生み出し、失われた30年への道を確定させてしまうことでしょう。
 
 

幸いいくつかのサイトで彼の遺書の英訳版を見つけました。
今回はそこを少し意訳しながら英語も紹介します。
 
 
英語を掲載しようと思ったわけ。
それは、かつてニューヨークの9.11事件があったときのことです。
海外のメディアでは神風となぞらえた表現をとっているメディアが多くありました。
 
 
私は当時この事に強い違和感を感じました。
 
 
なぜなら、この上原さんのように神風で亡くなられた方の多くはごくごく普通の学生であったり、良き父であり、あの時代に生まれなかったら素晴らしい足跡をこの世に残されたであろう人たちであったからです。
 
 
ましてや、彼の文章を読めばわかるように、あの時期世界にどれだけいたのかわからない本物の自由主義者です。
 
 
上原さんの思想を読み解くことで果たして自由とは何なのか。
そして、生きるとは?
国を愛するというのは本来どういうことなのか、について考える切っ掛けとなるかと思いました。
また、英文版があることで、当時の事に興味を持った海外の人にもこういう人がいたことを知っていただくきっかけになればと思います。
 
 

「遺書」 To my dear Father and Mother (Ryoji Uehara/flight captain of the Imperial Japanese Army)

生を受けてより二十数年、何一つ不自由なく育てられた私は幸福でした。
温かき御両親の愛の下、良き兄妹の勉励により、私は楽しい日を送る事が出来ました。
そしてややもすれば我ままになりつつあった事もありました。
 
この間、御両親様に心配をお掛けした事は兄妹中で私が一番でした。
それが、何の御恩返しもせぬ中に先立つ事は心苦しくてなりませんが、忠孝一本、忠を尽くす事が、孝行する事であると言う日本に於いては、私の行動をお許し下さる事と思います。

I was so lucky ever since I was given my life life some twenty years ago that I was brought up ever deprived of anything. Under the love and affection of my loving parents, and younger sister, I was so fortunate to spend such happy days. I say this in face of the fact that at times I had a tendency to act in a spoiled and selfish manner. Throughout, of all of us siblings, I was the one who caused you, Father and Mother, the most worry. It pains my heart that my time will come before I can return, or try to return, any of these favors I received. But in Japan, where loyalty to the Emperor and filial piety are considered one and the same thing, and total royalty to the nation is a fulfillment of filial piety, I am confident of your forgiveness.
 
 

空中勤務者としての私は、毎日毎日が死を前提としての生活を送りました。
一字一言が毎日の遺書であり遺言であったのです。
高空においては、死は決して恐怖の的ではないのです。
このまま突っ込んで果して死ぬのだろうか、否、どうしても死ぬとは思えません。
そして、何かこう、突っ込んでみたい衝動に駈られた事もありました。

As a member of the flying staff, I spent each and every day with death as the premise. Every letter and each word I wrote constituted my last will and testament. In the sky so high above, death is never a focus of fear. Will in fact die when I hit the target? No, I cannot believe that I am going to die, and, there was even a time when I felt a sudden urge somehow to dive into a target.
 
 

私は決して死を恐れてはいません。
むしろ嬉しく感じます。
何故ならば、懐かしい龍兄さんに会えると信ずるからです。
天国における再会こそ私の最も希わしい事です。

The fact of the matter is that I am never afraid of death, and, to the contrary, I even welcome it. The reason fo this is my deep belief that, through death, I’ll be able to get together again with my beloved older brother, Tatsu. To be reunited with him in heaven is what I desire the most.
 
 

私はいわゆる、死生観は持っていませんでした。
何となれば死生観そのものが、あくまで死を意義づけ、価値づけようとする事であり、
不明確の死を怖れるの余りなす事だと考えたからです。
私は死を通じて天国における再会を信じているいるが故に、死を怖れないのです。
死をば、天国に上る過程なりと考える時、何ともありません。

I did not have any specific attitude toward life and death. My reasoning was that the cultivation of a specific attitude toward life and death would amount to an attempt to give a meaning and value to death, something that would have to stem from a person’s utter fear of an uncertain death. My belief is that death is a passage leading to reunion with my loved ones in heaven. I am not afraid to die. Death is nothing to be afraid of when you look at it as just a stage in the process of ascending to heaven.

私は明確に云えば、自由主義に憧れていました。
日本が真に永久に続くためには自由主義が必用であると思ったからです。

これは、馬鹿な事に聞えるかもしれません。
それは現在、日本が全体主義的な気分に包まれているからです。
しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。

Succinctly speaking, I have always admired liberalism, mainly because I felt that this political philosophy was the only one to follow were Japan really to survive eternally.
Perhaps this sort of thinking seems foolish’ but it is only because Japan is currently drowned in totalitarianism. Nevertheless, and this state of affairs notwithstanding, it will be clear to any human being who sees clearly and is willing to reflect on the very nature of his or her humanity that liberalism is the most logical ideology.
 
 

戦争において勝敗を見んとすれば、その国の主義を見れば、事前に於て判明すると思います。
人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思います。
日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。
この上はただ、日本の自由、独立のため、喜んで、命を捧げます。

It seems to me that a nation’s probable success in the prosecution of a war would, on the very basis of that nation’s ideology, be clearly evident even before the war was fought. It would in fact be so obvious that eventual victory would clearly be seen to belong to the nation that holds a natural ideology,i.e., an ideology which in its way is constitutive of human nature itself.
My hope of making Japan like the British Empire of the past has been utterly defeated. At this point, therefore, I gladly give up my life for Japan’s liberty and independence.

人間にとって一国の興亡は、実に重大な事でありますが、宇宙全体から考えた時は、実に些細な事です。
驕れる者久しからずのたとえ通り、もし、この戦に米英が勝ったとしても彼等は必ず敗れる日が来る事を知るでしょう。

While the rise and fall of one’s nation is indeed a matter of immense importance for any human being, the same shift dwindles to relative insignificance when and if that same human being places it within the context of the universe as a whole. Exactly as the saying has it, “Pride goeth before a fall (or, those who savor victory will soon find themselves in the camp of the defeated), “and, even if America and Great Britain turn out to be victorious against us, they will eventually learn that the day of their own defeat is imminent.
 
 

もし敗れないとしても、幾年後かには、地球の破裂により、粉となるのだと思うと、痛快です。
しかしのみならず、現在生きて良い気になっている彼等も、必ず死が来るのです。
ただ、早いか晩いかの差です。

It pleases me to think that, even if they are not to be defeated in the near future, they may be turned to dust anyway through an explosion of the globe itself. Not only that, but the people who are getting the most fun out of life now are most certainly doomed to die in the end. The only difference is whether it comes sooner or later.
 
 

離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。
開かなかったら左の引出しを開けて釘を抜いて出して下さい。
ではくれぐれも御自愛のほど祈ります。
大きい兄さん、清子始め皆さんに宜しく。
ではさようなら、御機嫌良く、さらば永遠に。

In the drawer, right side of my bookcase, in the annex of the house, you will find the book I am leaving behind. If the drawer does not open, please open the left drawer and pull out a nail — then try the right drawer again.
 
Well, then, I pray that you will take good care of yourselves.
My very best to my big brother [i.e., the older of the two elder brothers], sister Kiyoko, and to everyone.Well, then, Good-bye. Gokigen-yo (Farewell). Good-bye forever.
 
 

御両親様へ
良司より

To my dear Father and Mother
From Ryoji
 
 

「所感」/My Thought (Ryoji Uehara/flight captain of the Imperial Japanese Army)

上原良司
次に「所感」を紹介します。
上原さんは遺書を3つ書いていたと言われています。その中でも、この「所感」は非常に出撃前の夜となる5月10日に書かれたと言われています。当時20代の人がその死の直前に残した文章とは思えぬ迫力と、思考の到達点に圧倒されてしまいます。人生論、自由論として一つの哲学書と言ってしまっても良いのではないでしょうか。
 
 

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

I am keenly aware of the tremendous personal honor involved in my having been chosen to be a member of the Army Special Attack Corps, which is considered to be the most elite attack force in the service of our glorious fatherland. My thoughts about all these things derive from a logical standpoint which is more or less the fruit of my long career as a student and, perhaps, what some others might call a liberal. But I believe that the ultimate triumph of liberty is altogether obvious. As the Italian philosopher Benedetto Croce[1866-1952]has proclaimed, “liberty is so quintessential to human nature that it is absolutely impossible to destroy it. “I believe along with him that this is a simple fact, a fact so certain that liberty must of necessity continue its underground life even when it appears, on the surface, to be suppressed—it will always win through in the end.
 
 

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

It is equally inevitable that an authoritarian and totalitarian nation, however much it may flourish temporarily, will eventually be defeated. In the present war we can see how this latter truth is borne out in the Axis Powers [the alliance of Japan, Germany, and Italy] themselves. What more needs to be said about Fascist Italy? Nazi Germany too has already been defeated, and we see that all the authoritarian nations are now falling down one by one, exactly like buildings with faulty foundations. All these developments only serve to reveal all over again the universality of the truth that history has so often proven in the past: men’s great love of liberty will live on into the future and into eternity itself.
 
 

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

Although there are aspects to all this which constitute something the fatherland has reason to feel apprehensive about, it is still a truly wonderful thing to feel that one’s own personal beliefs have been validated. On every front, I believe that ideologies are at the bottom of all the fighting that is going on nowadays.Still further, I am firmly convinced that the outcome of each and every conflict is predictable on the bases of the ideologies held by the opposing sides.
 
 

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

My ambitious hope was to have lived to see my beloved fatherland—Japan—develop into a great empire like Great Britain in the past, but that hope has already been dashed. If those people who truly loved their country had been given a fair hearing, I do not believe that Japan would be in its present perilous position. This was my ideal and what I dreamt about: that the people of Japan might walk proudly anywhere in the world.
 
 

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。

In a real sense it is certainly true that a pilot in our special aerial attack force is, as a friend of mine has said, nothing more than a piece of the machine. He is nothing more than that part of the machine which holds the plane’s controls—endowed with no personal qualities, no emotions, certainly with no rationality—simply just an iron filament tucked inside a magnet itself designed to be sucked into an enemy air-craft carrier.
 
 

理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。

The whole business would, within any context of rational behavior, appear to be unthinkable, and would seem to have no appeal whatsoever except to someone with a suicidal disposition. I suppose this entire range of phenomena is best seen as something peculiar to Japan, a nation of spirituality. So then we who are nothing more than pieces of machinery may have no right to say anything, but we only wish, ask, and hope for one thing: that all the Japanese people might combine to make our beloved country the greatest nation possible.
 
 

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

Were I to face the battles that lie ahead in this sort of emotional state, my death would be rendered meaningless. This is the reason then, as I have already stated, that I intend to concentrate on the honor involved in being designated a member of the Special Attack Corps.
 
 

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

When I am in a plane perhaps I am nothing more than just a piece of the machine, but as soon as I am on the ground again I find that I am a complete human being after all, complete with human emotions—and passions too. when the sweetheart whom I loved so much passed away, I experienced a kind of spiritual death myself. Death in itself is nothing when you look upon it, as I do, as merely a pass to the heaven where I will see her once again, the one who is waiting there for me.
 
 

明日は出撃です。過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

Tomorrow is the day of the assault. It may be that my genuine feelings are extreme—and extremely private! But I have put them down as honestly as I can. Please forgive me for writing so loosely and without much logical order. Tomorrow one believer in liberty and liberalism will leave this world behind. His withdrawing figure may have a lonely look about it, but I assure you that his heart is filled with contentment.
 
 

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で。

I have said everything I wanted to say in the way I wanted to say it. Please accept my apologies for any breach of etiquette. Well, then.
 
 

出撃の前夜記す。
Written the night before the attack

 

自由とは、そして、国を愛するというのは

いかがでしたでしょうか。
私は彼の遺稿に目を通した日は一日中涙が止まらず仕事になりませんでした。
 
 
今の時代一般的に考えられている自由の概念と彼が本文を通じて伝える自由の違い。
そして、彼の信ずる国を愛するということと、今の時代一般的に言われる愛国心というものには大きな隔たりを感じざるを得ませんでした。

 
 
なぜなら今の時代言われるところの自由はあくまでもそこに他者の自由が介在しない自由であること。
だから気をつけないと、レッセフェールになったり、はたまた、リバタリアンのようになってしまう。わがままな自由放縦、あるいは、自己責任論に代表されるマッチョな自由主義に欠けているのは、他者の自由を侵害することになればそれは本当の自由ではないということ。まさに、「自」らに「由」がある自由こそが本当の自由です。
 
 

彼の言う自由はまさに彼の憧れた全盛期の大英帝国に生きる人々の気風を代表する、古典的自由主義に近いと感じます。歴史の風雪に耐えてきた本物の自由主義は、他者の自由を尊重しつつ、個人の自由を通じた自己実現を諸国民が実践し、それが結果的に社会に貢献するという考えです。

 
 
これこそが大英帝国発展のベースとなった気風です。
(その過程で帝国主義となり植民地となった国は大変悲惨なことでしたが、その議論はまた別の場で。)
 
 
そして、ここで彼にとっての愛国心を見出すこともできます。

 

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

彼はこのように語っています。
一見、マッチョな愛国心の発露のように感じる表現もありますが、彼にとっての理想の日本とは人々の言論・思想といった精神面に関わる自由から、職業選択など経済的な自由も含めた自由の力を通じて、世界の模範となるような素敵な国にしたい、ということだったのでしょう。だからこそ、その表現の中には武力に関わるような表現もありませんし、他民族や他国を見下すような記載も一切ありません。

 
 
一般的に愛国心というと、国旗を掲揚したり、8月15日に靖国神社に参拝することだとイメージされてしまいがちですが(私自身はそれに反対する立場でもないですし、あるいは、行くことに反対することに反対もしません。それはひとりひとりの自由だと思います)、彼の言うところの愛国心とは、より自由を通じた個人の発想や行為の活性化によって、日本をより良くして世界の発展に貢献していくことだったのではないでしょうか。

 
 
実際、「最後のメモ・ノート」というメモの中に「国家主義(全体主義)と個人主義」というタイトルで、次のように書かれています。

 

「個人が国家に尽くすというのは、結局、個人のためである。国家のためではない。この意味において、国家主義は個人主義の中に入る。自由は人間性なるが故に、自由主義国家群の勝利は明白である。日本は思想的に既に敗れているのだ。何で勝つを得んや。しかし吾人が、彼のアメリカの学生がその独立を守らんがため闘っていると同じく、日本の独立のためにあくまで闘うのだ。日本の自由のために、独立のために死を捧げるのだ」。

 
 
彼からすれば、ニセの愛国心の衣を纏って威勢よく鬼畜米英といって世論を煽った政治家や官僚、そして、メディアから財界に対してはやるせない気持ちがあったのではないでしょうか。かつては、大正デモクラシーを謳歌していた日本国民も、昭和大恐慌から困窮しているときにメディアから威勢のよい声が聞こえてくると乗せられてしまうものです。(だからこそ、経済政策は個人的には外交、安全保障より更に大事な政策だと思うのです。)
 
 

今の時代も気をつけないと貧すれば、今日明日の安定の為に、より大事なものを私達は簡単に放棄してしまいがちです。
ときにはそれが自由であることもままあります。
 
たとえば、せっかく手に入れた仕事をクビになりたくない。
はたまた、組織を守るために。
自分の今まで築いてきた社会的地位を失いたくない。
 
 
こうした些細なことをきっかけに、私達はやむにやまれず社会通念に反すること行ってしまうことがあります。
 
 
そうならないようにするためには、ひとりひとりの個人の中に、上原さんのような真の独立心とも言える自由の心。
そして、威勢のある排外的な愛国心ではなく、生まれ育った地(パトリ)を大事にしたいと思う郷土愛を通じた健全で本物の愛国心が必要なのかもしれません。

 
 
上原少尉は、
 

『願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。』
 
 
と書き記していました。
 
 
これほどの人が、平和な時代に生きていればどれほどの功績を残されたことでしょうか。
今、日々を無為に過ごしてしまう自分を恥ずかしく感じます。
 
 
真の自由主義者であり本物の愛国者であった上原さんのご冥福を心よりお祈りします。
 
 
大山俊輔

カテゴリー: 起業家ブログ