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読書レビュー – エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』も起業家ならバイブルの1つとなりうる名著

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』のレビュー

こんにちは。大山俊輔です。
今日はエーリッヒ・フロムの代表的著書『自由からの逃走』についてまとめてみました。
 
 

こうみえても、一応、私の本職は会社経営者です。
読書は好きでも嫌いでもないです。ですが、普段は三国志ばっか見てるしマンガも大好きです。
学生時代も決して文学青年ではありませんでした。その頃も、三国志はずっと見てましたが(笑)。
 
 

というわけで、私にとっての読書というのは大体は自分のライフステージと重なるものとなります。
切り口としては、自分の陥っているモードとそのヒントになりそうなタイトルの本を見ることで購入することからはじまります。
 
 

前回紹介した『脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方』ですと、少し体重が気になって本格的にパーソナルトレーナーをつけ始めた頃です。
 
 

 
 
では、本著『自由からの逃走』はというといつでしょう?
それは、会社を創業して数年経過してからだったと思います。
当時、まだまだ鼻っ柱が強く自信満々。
ですが、創業した会社が思ったより立ち上げが大変で毎月末はピンチ。
 
 
何度と、

 
「もう駄目かも・・・」
 

と思っていた時に、本著のタイトルが私の心の琴線に触れたのでしょう。
もともと、エーリッヒ・フロムという名前と本著の名前は学生時代の恩師が話していたのでうっすら覚えてました。
ですが、学生時代にこの本を読もうという気にはなりませんでした。
 
 

ピンチになった時に引っかかった言葉。
それは、「自由」です。
 
 

なぜなら起業家にとって「自由」というのは、自分の命と同じかそれ以上に大事と思う価値ですから。
じゃなきゃ、安定したポジションを捨ててまで売上ゼロと膨大な借金を背負ってまで何かをはじめようとはしません。
 
 
もちろん儲けたい人もいるでしょう。
あるいは、名声を獲得したいという人も多いと思います。
はたまた最近はやりの「世の中を変えたい」ということが創業のきっかけの人もいます。
 
 
ですがこれらはあくまでも事業がうまくいけばご褒美としてついてくるものです。
一方で、多くの起業家にとって「自由」なくして起業という行為は伴わないはずです。

 
 
当時は本当にお金がなくて(今もあまりありませんが)、電車やバス代すらもったいなくて1駅2駅くらいなら歩いて打ち合わせに行っていた時期です。その時、本著の2000円近い値段は食事何回分だろう?と思って購入したのを覚えています。
 
 

そこで、今回、オルテガの『大衆の反逆』に続いて、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』についてまとめてみました。
といっても、半分は私自身が自分の頭を整理するためであり、読み直すのが大変なのでまとめておきたいと感じたから自分用にまとめています。
 
 
ちなみにオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』のレビューはこちら。

過疎ブログならではの利点ということで、自分用に本著のまとめを書いてみました。


 
 

エーリッヒ・フロムについて


まずはじめに。
私は別に哲学オタクでも、文学青年でもありません。
 
 

本書について考察をしている人、あるいはWikipedia先生を読めばフロムがフランクフルト学派に属していたこと。そして、本著の構成となる背景にはマルクス主義とフロイトの精神分析のアプローチがあることが書かれています。

 
 
どうしてもフランクフルト学派という言葉やマルクス主義的な言葉が出てくると先の大戦と結びつけてしまうため、この著者は保守系の方には人気がない気がします。ですが、私のような経営者にはどの学派に属するかなんて言う事実はあまり重要ではありません。
 
もともと、私自身、政治的なスタンスは保守でも革新でも右でも左でもありません。その時代に合わせてニュートラルに是々非々で、という考えなのでその思想的背景には全然興味がないのが正直なところです。そういった考察は学者にお任せしたいと思います。とはいえ、思想がどの立場にいる方であっても、「自分の人生の舵取りは自分がしているんだ」という自負がある方はきっと首肯し共感することが多くあることに驚くことでしょう。
 
 

エーリッヒ・フロム肖像

 
 
ちなみにWikipediaでのフロムの紹介は下記のとおりです。
 
 
エーリッヒ・フロム(Wikipediaより)

 
 

 
 
これを読むとどうしても思想面などのバックグラウンドから自分に合う、合わないと判断してしまう人もいる気がします。
もちろん、本著はユダヤ人としてナチスがドイツで政権を奪取後、スイス、アメリカへと拠点を移した背景からもナチズムに一般のドイツ人が飲み込まれていった心理学・精神額的な考察も多分に含まれています。
ですが、何よりも本著は「生き方論」=つまり、「よく生きるとはどういうことか」ということを主たるテーマとしているのであり、その視点から読むのであれば、読み手の思想に関係なくとても素晴らしい本であるといえるでしょう。
 
 

私自身、前回紹介したオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』と並び本書は私にとって、会社経営をしていて辛いことがあるとき、自分自身が他人や他社との比較に埋もれてしまいかけた時に何度となく救われてきました。なぜなら、どちらの書でも扱われている本質的なテーマは「より良い生き方とは?」であるからです。

 
 
また、オルテガにせよフロムにせよ生きた時代が第一次大戦~第二次大戦の戦間期~大戦中(『大衆の反逆』:1929年/『自由からの逃走』:1941年)である点は、その時代に生きた知識人の時代考察という点で多分に共通するものを感じます。

 
 

『自由からの逃走』について(超要約)

本著は真面目に読めばかなり時間のかかる大作です。
私もこんなエントリを書いているに関わらず、通読した回数は10回あるかないかというのが正直なところ。
 
 

自分がその時、その時少しずつですが変わる人生のステージで読み直した時に気に入った箇所は付箋を引いてエバーノートに保存して定期的に読み返すようにしています。とはいえ、それでも自分にとって良いなと線を引いた箇所をよむだけでもかなりのボリュームになります(笑)。
 
 
短く省略すればよいわけではないですが、もともと著書として膨大なボリュームの本です。
流石に何度も読み直すのは大変。ということで、自分用のサマリという形で今回まとめてみます。
ですので、このページのアクセス解析をするとほとんど私自身になってしまうことでしょう(笑)。
 
 

超要約 – エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

本著の超サマリといえば、フロム自身が下記のように書いています。
 
 

本書の主題は、次の点にある。
 
 
すなわち近代人は、個人に安定をあたえると同時にかれを束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感情的な諸能力の実現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していないということである。
 
 

自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方、個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、あるいは、人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。本書は、予測よりもむしろ診断 ー解決よりもむしろ分析ー であるが、その結果はわれわれの行為の進路に一つの方向を与えている。なぜなら、全体主義がなぜ自由から逃避しようとするのかを理解することが、全体主義的な力を征服しようとするすべての行為の前提であるから。

 
 

しっくりくるような、こないような、という第一印象からスタートしますが噛みしめれば噛みしめるほどこの言葉の意味は奥深いものとなります。

 
 

超要約 – エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』時代的考察

この点は人類史という視点で我々が文明を持つようになってから平均人がどのように生きてきたかを考えればわかりやすいです。
 
 
私達人間(ホモ・サピエンス)が地球上に誕生したのは約30万年前と言われています。
当然、いきなり現代のような文明を持つに至ったわけではなく誕生後暫くの間は、アフリカのサバンナで他の動物と食べ物の取り合いをしたり、他のホモ属(人類)とも時には縄張りを争い、時には共存していた時期が長くありました。
 
 
他のホモ属が絶滅する中、我々人間が他の動物との生存競争に打ち勝ち、地球の覇者となったきっかけは7万年前の認知革命と言われています。
認知革命を通じて、人間は言語を獲得しそして、1万年前の農業革命を通じて膨大な人口を養う術を得たのです。
 
 

農業革命を通じて私達は食物の貯蔵が可能となり、また、この食料の生産・保存という機能を通じて集落、そして、それらを束ねる国家や帝国が誕生します。
その後も様々な技術的な発明はありますが、実は一般庶民の生き方を見ていくとユーラシア大陸では紀元前から中世末期に至るまで大きな変化はありません。
 
 

農家に生まれたらその子は農民になりますし、職人の子供は職人になります。
つまり移動や職業選択の自由がないのです。

 
 

さらに、生まれた場所を離れたりすることができるのは一部の特権階級かアウトローのみです。
私が好きな北アフリカに根拠地としたバルバリア海賊などは、ベルベル人、アラブ人のみならずオランダ人、イングランド人など多国籍の私掠集団です。同じように後期倭寇は王直はじめ明の海禁を逃れた中国人、日本人、中には一部ポルトガルなどイベリア半島出身者から構成された集団でした。ここまでくると、リアル北斗の拳の世界です。ですが、こうした人達の人生というのは例外的なもので普通の人は生まれた地縁や職業に束縛されて生きていくのが当たり前だったのです。

 
 

こうしてみると、代々同じ場所に生まれそして家族代々同じ仕事をして死んでいく。
確かに自由のない時代ですので、息苦しい時代ですが一方でこの時代にあって今の時代に希薄になった概念があります。
それは、安定感と帰属感です。
 
 

確かにどんな仕事に就きたいのか、あるいは、どの街に住みたいのか、どのような人生を追求したいのか。
このようないわゆる選択の自由がないことはつらいことです。
ですが、今の時代の価値観ではそうかもしれませんが、当時はそれが当たり前だったのです。
 
人生を選択する自由をもつことができないのが当たり前だった時代です。農家に生まれたのに自分は刀鍛冶になりたい、という人もいたでしょうが、それを我慢することにより安定した仕事と変わらぬ未来がありました。このことは、ある種の安定感を人に与えてくれます

 
 

ですが、フランス革命はじめ種々の革命などを経て人々は自由を獲得します。
ここでは、この自由を「・・・からの自由」(消極的自由)と呼びます。
なぜなら、この時代に人々が欲した自由というのは「他人から支配されない自由」であったからです。

 
 

この後、産業革命などに伴う余剰生産の拡大と資本の蓄積により、人類史上はじめて私達は想像もつかないような贅沢な生活をおくることができるようになります。それは、かつてのどのような古代帝国の皇帝でも想像できないような生活を我々大衆(ここでいう大衆は英語で言う”mass”を意味する)にも可能としたのです。
 
 

そして、膨大な農業や工業の生産性の改善により、農民の多くは都市部に流入。
結果として、産業革命を通じて多くの仕事が誕生し、都市部に流入した人口がこうした新しい職を支えました。

 
 

一方で、こうした変化を通じて一部のブルジョワジーはじめ一般人の中にも、
 
 

「ひょっとしたら、自分の人生の支配者は自分なのではないのだろうか?」

 
 

という考えが出てきます。
こうした思想を代弁した多くの思想家が誕生しイギリスでは自由党(ホイッグ)という政党も誕生します。
 
 

こうして、人類は今までは支配される自由から脱することに成功しましたが、ついには自分の人生を自分で決めることができるようになります。
先程の「・・・からの自由」である消極的自由と区分して、
 
こうした、
 
 
「・・・への自由」
 
 
という概念を
 
積極的自由と呼びます。

 
 

近代の諸問題 – ナチズムが大衆の人気を博した理由

さて、ここまで書けば近代というのはとても素晴らしい時代のように感じます。
自分の人生は自分で決めることができるんですから。

 

ですが、そうもいかないのが難しいところです。
 
 

確かに近代人である私達は「前個人的社会の絆」から自由になりました。
ですが、必ずしもすべての人が「自己を実現」するという自由(積極的自由)を追求することが良いとは考えなくなってしまいます。
 
 

なぜなら、積極的な自由を追求するというのは自分の人生の主は自分であるということを自覚することだからです。
これはあたかも子供が親離れをする過程と似ています。
確かに、親と生活し自由がない状態というのは束縛もあるものの、生活に安定をもたらしてくれもします。
 
 
つまり自由になるというのは、乳離れをする過程とも比喩されます。
積極的自由を実現するというのは自立することが前提となります。
 
 

このことは確かに人を孤独に感じさせます。
こうした心境に陥った時に私達には2つの選択肢がある、というのがフロムの分析でした。

 
 

1つ目の選択(退行的な逃避メカニズム)
自由の重荷からのがれて新しい「依存」と「従属」を求める

 
 

2つ目の選択(積極的な選択)
人間の独自性と個性とにもとづいた“積極的な自由”の完全な実現に進む

 
 

フロムの生まれた時代世界は戦間期でした。
第一次世界大戦により敗戦国となったドイツは疲弊し、人々は自信を失っていました。
そんな時に、本来理想とされた2つ目の選択肢である「積極的な自由」を追求する余力は多くの人にはなかったのでしょう。

 
 

そんな心情をたくみに操ったのがナチズムであった、ということです。
そして、その手法はまさに多くの人々に1つ目の選択である「依存」と「従属」を求める代わりに安定と帰属感を与えることだった、というが、フロムの分析だと思います。自分たちは偉大なるゲルマン民族に属するんだ、という心情がこうした厳しい現実を覆い隠してしまいます。

 
 

今の時代に生きる私達に置き換えると

こうして書くと、
 

「いやいや、それって昔の話でしょ」

 
という声が聞こえてきそうです。

 
 
ですがそうでしょうか?
確かに今の時代、ナチスのような政党が突如出てきて国民を束ねることはなかなかイメージが湧かないでしょう。
 
 
一方で、異なる形で私達は退行的な逃避メカニズムを選択してしまうことが日々の生活に置いても多々あるのではないでしょうか。
 
 
まず、代表的と言えるのはこの従属関係として考えられるのは会社。
特に日本は終身雇用が崩壊したと言われるものの、今も新卒一括採用は継続しています。
ここ20年の不景気で、当時新卒だった世代がリスクテイクして外に飛び出すことはなかなか難しい時代だったこともあり、より一層、自由を放棄する代わりにせっかく手に入れた安定(本当は安定ではないですけどね)を守りたいと思ってしまうのが人間というものです。
 
 
そして、会社や国家ではなくもう一つ私達が安心を得るために自身の自由を放棄してしまう対象があります。
それは多数派の価値観です。
 
 
私達は無意識のうちに多数の人の価値観にすり寄る傾向があります。
それは「常識」と言われるものであったり、「権威」あるものから言われるものであったり、「匿名の多数派の人気を博すもの」であったり・・・。

 
 
周りもそうだから親は子に受験勉強をさせます。英語が必要だから、と子供に英語学習させたり、今度はAIだからとプログラミング学習をさせたり・・・。
就職活動をする時には大学生は就職希望ランキングを元に活動をしたり、大人になると住みたい街ランキングを気にしながら引っ越しをしてしまったり・・・。
 
 

そして、一度企業に入社したら今度は先輩の目を気にして、そして、同期の動向を気にして。気づけば、周りの結婚に合わせて自分も結婚して、そして、ローンを組んで家を買って・・・・。
そして、駅前の居酒屋で一緒に上司の悪口を言いながら帰宅する。

 
 
確かに他人と同じ選択を行うことで自己を希薄化させることはある種の安心感を与えてくれます。しかしながら、これこそがフロムが言うところの

 
 

1つ目の選択(退行的な逃避メカニズム)
自由の重荷からのがれて新しい「依存」と「従属」を求める

 
 

という行為であるのです。
こうした行動は一時的な苦痛を回避することはできても、本質的な問題の解決にはなりません。

 
 
そして結果的に私達は厄介な矛盾に陥ります。
それは即ち、自分は自分の利益によって動いていると信じながら、実際には自己の生活を自分のものではない目的に捧げている、という相反する状態です。会社でいうと社畜という状態でしょうか。確かに、居酒屋でたむろして上司の悪口に勤しむ人は気づかないうちに会社に依存しています。これは甘ったれた親子関係や、あるいは、安保闘争時の若者の中にも見ることができます。

 
 
ここでフロムの言葉を引用してみましょう。

 
 

しかし、かれの払う代償は高価である。
すなわち「自己の喪失」である。近代社会において個人が自動機械となったことは、一般の人びとの無力と不安を増大した。そのため、かれは安定を与え、疑いから救ってくれるような新しい権威に、たやすく従属しようとしている。

 

結局の所、私達近代に生きる人間は積極的な自由な状態を追求する状態へ進まない限り、本当の意味で幸せを追求することはできないのでしょう。確かに、個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となれば、孤独や不安を感じる必要はないでしょう。ですが、これはまさに映画『マトリックス』の世界。これからAIが発展すれば今以上にこうした人間を増やしてしまう素地はできてしまうといえるでしょう。

 
 
こうして、フロムが提案する積極的自由への解決策が下記のとおりです。
それが、「自己実現」です。
 
 

「自己実現」?
いまさらそんな事言うの?
ありきたりに聞こえるかもしれませんが、フロムは
 
 

私達は自分が自分の欲することを知っているという幻のもとに生きている
 
 

と言っています。
ですが、事実は「欲すると予想されるもの」を欲しているのに過ぎない、と。

 
 
確かに先程のランキングの話や上下関係に基づいた価値観の形成などは当てはまりますね。

 
 
そこで、フロムが理想とする精神状態とは下記のようなものになります。
 
 

  • 人間は自由でありながら孤独ではなく
  •  

  • 批判的でありながら懐疑に満たされず
  •  

  • 独立していながら人類の全体を構成する部分として存在できる

 
 

再度ポイント

もう一度、本著のポイントです。

 
 

第1: 人間という生き物が最も恐れるものは孤独(孤立すること)である。
 
第2: 私達はあらゆる意思決定を自らの意思で行っている(積極的な自由を求めている)と信じている。
 
第3: しかしながら、人間は自由を獲得するに従って、心の底では耐え難い「孤独感」や「無力感」におそわれる生き物である。
 
第4: こうした孤立から逃れるため、人間の中には退行的な逃避メカニズムが働く。
 
第5: 逃避メカニズムにより「積極的自由」を求めるよりも、その自由を放棄することを多くの人間は選ぶのである。

この1~5のポイントにフロムの伝えたかった近代人の陥りがちなワナについてうまく要約してくれていると思います。

 
 

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』を読んで

いかがでしょう?
 
 
本当は読んだことのない人がすぐに理解できるようなレビューを書きたいのですが、残念ながら私はそのような才能はありません。
ですので、あくまでも自分仕様で自分があとで振り返って読み返すときのまとめとして本著をまとめてみました。

 
 
以前紹介したオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』で彼はこのように書いています。

 
 

われわれがこの世界――世界はつねにこの世界、現在のこの世界である――に落ち込むことによってはまり込む宿命というものは、まさにその逆である。われわれは一つの軌道を課せられるかわりに、いくつもの軌道を与えられ、したがって、選択することを余儀なくされているのである。われわれの生の状況とは、なんと驚くべき状況であろうか。

 
 
生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚することである。われわれの決断には、一瞬たりとも休むことが許されていない。したがって、われわれが絶望のあまり、ただなるがままにまかせる時でさえ、われわれは決断しないことを決断したといえるのである。

 
 
つまり、現代社会にオギャーと生まれた私達は好むと好まざるとにかかわらず生まれた時点で自分の人生を自分で選択することを余儀なくされているということ。
そして、自分のあらんとする姿を自由に決定するよううむをいわさず強制されているというルールに気づくことである、ということなのです。

 
 
非常に厳しい現実ですよね。
そこで、多くの人はこの厳しい現実に目を背けて退行的な解決策で現実から逃れようとします。
結果としてその人は安定を得るために、それ以上に大事で本質的な人間の価値である「自由」を自ら放棄してしまいます。
 
 
こうした人間の心理的状況をアメリカ建国の父の一人であるベンジャミン・フランクリンはこのように表現しています。
 
ベンジャミン・フランクリン
 

ほんのしばらくの安全を手に入れる為に、本質的で不可欠な自由を放棄してしまう人は、自由も安全も持つ資格がない。
Those who surrender freedom for security will not have, nor do they deserve, either one.

 
 
そして、このオルテガやフランクリンの言葉に対してフロムが提示した解決策は「積極的自由の追求」を通じて世界とつながることなのです。

 
これは非常に抽象的であると同時にその実行に対して伴わないといけないものがあります。
何でしょう?
 
 
私はそれは勇気だと思います。

 
 

  • 人の価値観に引きずられて自分を多数と同一化しない勇気
  •  

  • たとえ間違っていても「これだ」と思ったものを実現するための努力をする勇気
  •  

  • 失敗しても自己否定をせずに、よりベターな方法を見つけ出しへこたれずに前進する粘り強さ
  •  

  • 自分自身がこうした努力をしながら、同じように自己完成を試みる他の人間を理解し応援する寛容さ

 
 
そして、この勇気を発露するために必要なのは自分を信じるというなのではないでしょうか。
 
 

こういう人間が多数派になる時代を恐らくフロムやオルテガは夢想しながら死んでいったのだと思います。
 
 
今日はそんなところで!

 
 
大山俊輔