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三国志のあらすじを徹底解説! | これから三国志を学びたい人向け地図、登場人物、三国時代についてわかりやすくまとめました!

三国志のあらすじを徹底解説! | これから三国志を学びたい人向け地図、登場人物、三国時代についてわかりやすくまとめました!

皆さんは「三国志」をご存じでしょうか。「三国志」は中国の古いお話ですね。
日本でも古くから小説や舞台の題材として扱われ、現在では漫画・ゲーム・映画などで何度も題材にされています。

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外資メーカー勤務。幼少期に歴史にはまりおとなになってから更に磨きがかかるいわゆるレキジョ。三国志はもちろん、中国史全般だいすきです。

そんな日本でも親しまれている三国志。
しかし、一部の三国志オタクの会話を聞いていると、三国志初心者にはちょっと敷居が高く感じるのではないでしょうか。

この記事では「はじめての三国志」ということで、今まで三国志に興味があったけど、なかなか手が出なかった方でもわかりやすく三国志、そして、三国時代を理解しつつ登場人物、地理関係(地図)、そして、三国志を知るのにオススメのアニメ、ドラマなどを紹介していきます。

サイト管理人:大山俊輔

本業は英会話スクール運営会社の経営。小学校3年から三国志にハマった三国志歴40年近いベテラン。中学校・高校のニックネーム(自称)は曹丞相。

それでは、三国志の奥深い世界をご紹介していきましょう。

三国時代とはどのような時代?

「三国志」の舞台は現在の中国。

時代はおよそ西暦180年ごろから280年ごろにかけて。今からおよそ1800年前のお話ですね。日本では邪馬台国を治めていた卑弥呼がいた時代ですから、大変古い話となります。

三国時代は日本の邪馬台国の時代と重なる

ちなみに、「三国志」と邪馬台国には大きな関係があります

「三国志」の三国とは魏・呉・蜀の3つの国を指しますが、邪馬台国はこのうち魏の国で作られた書物の中に登場。書物では、「当時の日本には女王(卑弥呼)が治める国があり、その国が邪馬台国という名前であった」とが記されています。

この記述によって、日本には邪馬台国という国があり卑弥呼が治めていた事が分かりました。三国志の話には直接出てきませんが、日本と「三国志」は全く関係のない話ではないのです。

2つの三国志

ところで、「三国志」には2つあることをご存知でしょうか。

1つは中国の三国時代の歴史を書いた書物としての三国志と、後になってそれをもとに作られたお話としての「三国志演技」があります。

単に「三国志」という場合は陳寿が記した歴史書としての三国志をさします。羅漢中が記した明代の小説は「三国志演義」。ちなみに、「三国志演義」は主人公が蜀の劉備で、日本でも広く楽しまれています。

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横山光輝三国志などは、羅貫中の三国志演義ベースですよね。最近では、蒼天航路など曹操が主人公のものもあります。

三国志 | どんな国があった?

後漢王朝の地図後漢王朝の地図(出典:https://sekainorekisi.com/)

三国志の世界は、現在の中国大陸を「漢」(後漢)という国が治めていたところから始まります。

漢王朝は春秋戦国→秦王朝の統一後の混乱後、楚漢戦争を経て劉邦が中国大陸を統一して誕生した王朝です。
中国大陸を統一しただけではなく、中央アジアまで支配しシルクロードにまたがり、ローマ帝国とも交流のあった大帝国でした。

しかし、その漢王朝の統治も2世紀に入ると陰りがでてきます。
この時代、疫病や日照りが続き、役人も自分の私腹を肥やすことしか考えていなかったために、国は大きく乱れていました。

そんな苦しい時代に自分の理想や志、欲望を実現しようと多くの人たちが立ち上がります。その人々の中から曹操、孫権、劉備という男たちが登場。彼らは時代の中で、もがきながら次第にそれぞれの国を作っていきます。

それが三国志の三国、曹操の「魏」、孫権の「呉」、劉備の「蜀」の3つの国です。
更にこの3つの国が、中国全土を統一しようと争います。

時が流れ、司馬昭とその息子・司馬炎が現れ「晋」という国を造ったことで中国大陸を統一したのでした。

三国志のあらすじ

それでは、三国志のあらすじを見ていくことにしましょう。

漢王朝の腐敗と黄巾の乱

今から1800年前。中国大陸は漢という国によって治められていました。
漢の霊帝の時代、天災や疫病、役人は私腹を肥やしていたために国は大きく乱れます。

大きく乱れた国の中で、人々は次第に「太平道」という宗教に救いを求めます。

太平道の信者が中国大陸全土に広まり、一大勢力となっていくと、「漢を倒して自分たちの国を造ろう」と反乱を起こしました。反乱を起こした人々は、頭に黄色の頭巾をかぶった事から、この反乱を「黄巾の乱」と呼びます。

しかし、黄巾の乱は漢の軍隊や中国各地で立ち上がった義勇軍によって1年で平定。

董卓の都での横暴

ところが、平定後しばらくして霊帝が亡くなると皇帝の座を巡って後継者争いが勃発します。その後継者争いに付け込み、自らの軍隊と手腕でもって漢の国を牛耳る男が登場。これが、董卓です。
董卓は漢の中枢に乗り込み、権力を握ると残忍で傍若無人に振舞ったために、人々は怒りを覚えます。

怒りを覚えた人々の中に、役人であった曹操がいました。

曹操はニセの皇帝の命令を使い、「董卓を倒そう」と中国全土に呼びかけます。
その呼びかけに応え、漢の都に中国各地から軍隊が集まり反董卓軍を結成。董卓の軍と戦います。
しかし、董卓と戦う人々は次第に仲間割れを起こすと、反董卓軍を解散させ、乱を起こした曹操も逃げてしまいました。戦いに勝った董卓も罠にかけられ、部下によって殺されてしまいます。

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曹操とはどんな人なの?より曹操について深く掘り下げて知りたい方は「歴史オタクが三国志の曹操について初心者にわかりやすく解説!」の記事もご参照くださいね。
歴史オタクが三国志の曹操について初心者にわかりやすく解説! 歴史オタクが三国志の曹操について初心者にわかりやすく解説!

群雄割拠の時代

三国志の群雄割拠時代

董卓が亡くなると、反董卓軍の人々は中国大陸全土に散らばり、それぞれの勢力を築いていきます。元々、国が乱れていた漢の時代です。

黄巾の乱から董卓の出現で国の乱れに拍車がかかると、それぞれの勢力が地域を治める群雄割拠の時代に突入します。北方では名門袁紹が公孫瓚と覇を争います。また、その弟袁術も南方に割拠し、中部の荊州には劉備と同族の劉表今の四川省方面には劉璋、また、西涼と呼ばれる北方騎馬民族との国境あたりでは馬騰など様々な英雄が勃興しました。

曹操の台頭

こうした群雄の中でも抜きん出たのが曹操です。

董卓を倒すために立ち上がった曹操は、霊帝のあと皇帝となった献帝を保護し、勢力を拡大。皇帝を擁立し有利な立場に立つだけでなく、漢の古い習慣や制度を次々と変えていき有能な人材を自分の陣営に取り込んでいきました。

魏の誕生

曹操は何度も危機を乗り越えながら勢力を拡大していき、呂布、袁術など周辺の群雄を倒していき最後は北方の雄、袁紹と戦います。これが有名な「官渡の戦い」です。

MEMO
官渡の戦いについては「官渡の戦いとは!?三国志前半の天王山とも言える戦いをわかりやすく解説!」の記事も合わせてご参照ください。
官渡の戦いとは!?三国志前半の天王山とも言える戦いをわかりやすく解説! 官渡の戦いとは!?三国志前半の天王山とも言える戦いをわかりやすく解説!

何度もピンチに陥りながらも曹操は袁紹に勝利。
中国大陸の北半分まで拡大し、群雄最大の領土を持つようになります。

これが、後の魏となります。

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厳密には、曹操は天下統一目前の時でも漢に仕える丞相(総理大臣のようなポジション)でした。最終的に魏王になりますが死ぬまで漢朝から帝位は自身は簒奪していません。

赤壁の戦いと三国の鼎立へ

さて、曹操が北方を固めていた頃、中国中部にある荊州は劉表という人が治めていました。ここに、居候をしていたのが劉備です。

劉備は時には曹操と同盟を結んだりしていましたが、曹操暗殺計画に加担したことをきっかけに離脱。その後、何度か曹操と戦いましたが破れて、荊州に流れ着き、反抗の機会をうかがっていました。また、南方の孫権も曹操に降伏することを拒みます。

こうして、劉表死後、天下統一を目指して攻めてきた曹操に対抗して劉備・孫権が連合して曹操と戦います。これが、三国志前半のクライマックスとなる「赤壁の戦い」です。

赤壁の戦いは、劉備軍参謀の諸葛亮、そして、孫権軍参謀の周瑜の計略が成功し曹操は敗北。北方へ撤退します。その後、劉備は荊州・益州を中心に勢力を拡大、また、孫権も南方を確保し三国により中国大陸が分割・均衡状態になります。

ここから、三国鼎立の時代です。

呉の誕生

中国大陸の東シナ海に沿った南東部分には、孫権という人が呉という国をつくります。

孫権の父親は、孫堅。孫堅は黄巾の乱で戦い、反董卓軍にも参加していました。
その後、討伐軍が解散すると将軍として各地で戦い、その後を受けた長男の孫策は独立して大きく躍進しました。

ところが、孫策は刺客により傷を受け志半ばで亡くなります。孫策が亡くなると、弟の孫権がその後を受けます。父である孫堅、兄である孫策の覇業の志を胸に抱き多くの有能な家臣に支えられながら、国としてまとめ上げ、呉の初代皇帝となりました。

 

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孫権とはどんな人なの?より孫権について深く掘り下げて知りたい方は「歴史オタクが三国志の孫権について初心者にわかりやすく解説!」の記事もご参照くださいね。
歴史オタクが三国志の孫権について初心者にわかりやすく解説! 歴史オタクが三国志の孫権について初心者にわかりやすく解説!

蜀の誕生

現在の四川省がある中国大陸の南西部分。ここには、劉備が蜀という国をつくります。
劉備は関羽、張飛といった勇猛な男たちと義兄弟の契り(兄弟同然の関係となる)を結ぶと、義勇軍を結成。黄巾の乱では功績を挙げ、反董卓軍にも加わります。

その後、各地の群雄を頼りながら転戦していきますが、人に頼っている間は飛躍できませんでした。

荊州という地に流れ着いた時、諸葛亮という才能に溢れた若者がいることを知ります。
劉備は、三顧の礼をもって諸葛亮を自らの陣営に迎えると、荊州・益州の地を得て勢力を築きます。

劉備は漢の皇室の末裔の一人でした。
曹丕が漢朝より帝位を簒奪したことをきっかけに、正当な漢の後継として自ら皇帝に即位。蜀の国(蜀漢)を建国しました。

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劉備とはどんな人なの?より劉備について深く掘り下げて知りたい方は「歴史オタクが三国志の劉備について初心者にわかりやすく解説!」の記事もご参照くださいね。
歴史オタクが三国志の劉備について初心者にわかりやすく解説! 歴史オタクが三国志の劉備について初心者にわかりやすく解説!

曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀が誕生するなか、曹操が死去。
その息子、曹丕によって漢の国は禅譲により滅亡します。

しかし時代が下り、魏の国には将軍であった司馬懿の息子・司馬昭が現れます。
司馬昭は蜀の国を亡ぼすと、その子である司馬炎が魏の国を乗っ取り、晋という国を建国。その後、司馬炎は呉もまた滅ぼし、ここに中国大陸を統一したのでした。

三国志は漢から魏、呉、蜀の国がおこり、晋によって統一されるまでの興亡史をストーリーと扱っています。

登場人物の紹介

三国志の主な登場人物たちを整理していきましょう。

ここでは、代表的な魏呉蜀の人物及びそれ以外の人物を紹介します。なお、顔写真は横山光輝三国志からです。作品によってイケメンになったりブサメンになったりするキャラもいますが、概ね、

蜀の登場人物

劉備(玄徳)

劉備玄徳
後漢末期から三国時代の武将、蜀の初代皇帝。
仁徳があり一騎当千の猛者たちや博識にとんだ智者の助けを得て魏、呉と共に三国の一つである蜀の国を造りました。物語である「三国志演義」においては、主人公的な存在です。

関羽(雲長)

関羽雲長
蜀の創始者である劉備に仕え、人並み外れた武勇や義理堅い性格で三国志最強の武将の一人とされました。後世の人々から神格化され関帝となり中国で崇められていますが、日本でも中華街などで祀られています。

張飛(翼徳)

張飛翼徳
劉備が挙兵するとそれに従い、大いに支えます。1万の兵に匹敵するほどの豪傑と言われました。その武勇やお酒に弱い性格が人々に親しまれ「三国志演義」でも多くの話があります。

諸葛亮(孔明)

諸葛亮孔明
劉備がその才能を惚れ味方にした天才軍師。戦いだけではなく政治にも才能があり、数々の手柄を上げ、劉備が建国した蜀を強豪国へと押し上げました。

劉備亡き後も蜀の国を支え魏や呉と戦っていきます。

魏の登場人物

曹操(孟徳)

曹操孟徳

魏王。三国志一の英傑と称されるほどの君主。

合理的な価値観を持ち、家柄や品行ではなく才能のある人物を積極的に採用していきます。また、その性格ゆえに非情な行いもしますが新たな政策も提案されれば採用していったことから勢力を拡大していきました。「三国志演義」では敵役として扱われています。

司馬懿(仲達)

司馬懿仲達

魏の軍師。天才的な諸葛亮に対して、絶対負けないという戦いをし続けたライバルとなります。曹操の亡くなった後、権力闘争に巻き込まれるが最終的に国の権力を手にした。孫の司馬炎の時、三国を統一して晋を築きます。

呉の登場人物

孫堅(文台)

孫堅文台
江東の虎と称され、知勇に優れた将軍。
漢の武将として出世していき、黄巾の乱や董卓に立ち向かいます。陽気な性格と大変な勇気を持った将軍でしたが、志半ばで暗殺されてしまいます。

孫権(仲謀)

孫権仲謀
呉の皇帝。孫堅が亡くなると、長子であった孫策が孫堅の配下をまとめて躍進します。
しかし、孫策も暗殺されると孫策の弟であった孫権が継ぎました。孫権は家臣に支えられ、曹操、劉備と渡り合いながら呉の国を造り皇帝となります。

その他の登場人物

董卓(仲穎)

董卓
黄巾の乱の混乱から、漢の国を牛耳ります。暴虐の限りを尽くし、国を荒らしました。
しかし、反董卓連合を結成されても負けないほどのリーダーシップを持つ一面も。

ところが、配下の中から董卓の行いを良く思わないものが現れ、罠にかけられて暗殺されてしまいます。

おすすめのシーン

桃園の誓い(とうえんのちかい)

桃園の誓い

序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、桃の畑で義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、末弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話。

この3人はお互いに力を合わせ蜀の国を建国していきます。

曹操と関羽の友情

決死の千里行

曹操と劉備は徐州をめぐり戦います。

劉備は敗北し袁紹のもとに亡命します。一方、義兄弟の関羽、張飛も散り散りになりますが、関羽は劉備婦人とともに曹操に降伏します。関羽は曹操に降伏するにあたり、1:曹操に降伏するのではなく漢朝に降伏する、2:劉備の妻子を保護すること、3:劉備の生存がわかれば早々の元を去る、という条件を出します。

関羽に惚れ込んでいた曹操はこの条件を飲みます。

しばし曹操に使え、袁紹の武将顔良、文醜を打ち取るなど活躍した関羽ですが劉備の生存がわかり曹操の元を去ります。はじめ、関羽に惚れ込んでいた曹操はウジウジとするのですが、最終的には気持ちよく見送ります。

曹操は演技では悪役なんですが、その悪役であってもこの場面だけは曹操を爽やかに描いている名シーンです。

三顧の礼

三顧の礼

劉備が40代の時、優秀な青年がいることを知り自らの補佐として支えてもらう事を望みました。この若者が諸葛亮なのですが、諸葛亮は断ります。
そこで劉備は、周りの反対を押し切り自ら3度も諸葛亮の元へ訪れます。地位も歳も上の劉備がここまで礼を尽くしてくれたことに感動し、諸葛亮は劉備に仕えます。

そこからすぐれた人材を招くこと、また目上の人がある人物を信任して手厚く迎えることの故事成語として、「三顧の礼」が出来ました。

赤壁の戦い

赤壁の戦い

208年、破竹の勢いであった曹操は数十万という軍隊を引連れて長江を下ります。

狙いは孫権。孫権には数万の軍隊しかいませんでした。そこで孫権は劉備と同盟を結ぶと計略を使って曹操を破り追い返します。この赤壁の戦いを機に、三つの国の枠組みが出来はじめ、本格的に三国が争う時代へと突入していきました。

まとめ

以上、三国志についてまとめてみました。

「難しそう・・・」「よくわからない」なんて人も、今はわかりやすいマンガやアニメもありますので、ぜひ一度観てみてはいかがでしょうか。

お気に入りの人物が見つかるかもしれませんよ。

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